第20章 狐の喜劇
ひと気がなくなり相手の力が緩んだ隙をつき、拳を構えて鳩尾を狙おうとした。
「離せ…!」
「わあ!」
「!?」
相手が義元だと気づき、鳩尾に当たる寸前に拳をピタリと止めた。
「…義元どの」
「華音は、美しいものを愛するだけじゃなく、武芸も愛する女性なんだね」
「…すみません」
「平気だよ。こちらこそ手荒な真似をしてすまない。どうしても君と、ふたりきりで話がしたくて」
「それならそうと言ってくだされば……」
「俺も君も、人目の多いところだと目立ってしまうだろう」
「………」
下手に否定できなかった。
華音は今、眼鏡と男装で誤魔化しているだけで、目の良い人間ならばその美貌はわかる。
往来の少ない村の市を義元と華音が歩いていたら、ちょっとした事件になりかねない。
「万が一騒ぎになって、幸村と佐助に気づかれるのは、少し具合が悪いんだ」
「……二人とも、義元どのを心配していましたよ」
「……うん、そうだろうね」
儚げな笑みが、整った口元に浮かんだ。
「その件はひとまず置いておいて……俺は、華音を捜してたんだ」
「私を?」
「昨夜、屋敷から出ていく君を見かけて驚いた。家臣に何ごとか聞いたら……大変な思いをしたね」
「………」
“はい”とも“いいえ”ともとれなかった。
様々な葛藤があったのは本当だったから。
「……ご心配をおかけしました。ですがもう大丈夫です」
「………“大丈夫”か」
「?」
「君によく似た人の言う“大丈夫”は、信用しないと決めていたんだ」
陽臣のことを指しているのだと、華音はすぐに気づいた。
そしておそらく、義元は謙信や信玄あたりから、華音が継国家と血縁関係にある可能性を聞いている。
「…そんなに似ていますか」
華音の表情は、嬉しいとも嫌だともとれない表情だった。