第19章 月の一族の本性
「こんな時でさえお前は、他人の心を思うんだな」
「……え」
「お前の殺意は、己以外の者達が罵倒されたことからだろう」
華音の肩に光秀の腕が回り、引き寄せられた。
華音の濡れて湿った頬と、光秀のひんやりしていて滑らかな頬が、ぴったりとくっつく。
「善悪に境などないと考える俺が断言する。お前の怒りは正当だ」
否、ひとつ足すなら、華音はずっと正しかった。
常に自分以外の誰かのために何が最善かを判断し、例え激情に飲まれかけたとしても、抑える理性があった。
今回もそうだった。
皆を想って華音は怒り、殺意が芽生えた。
皆を想って華音は己の殺意を鎮めた。
「他人の価値観に飲み込まれてしまうことはない。たとえ相手が何者であろうとだ。義は、人の数だけある。
貴人連中が掲げる義もあれば、信長様が貫こうとしている義、秀吉の少々暑苦しい義もな」
冗談めかして言う光秀に、華音の表情は和らぐ。
「そして華音、お前にはお前の義がある。そうだろう?」
「……はい」
「善悪の見分けのつかない中で、義と義がぶつかり合うのが、この乱世だ。__だからといって、何人たりとも、お前の尊厳を冒すことは許されない」
正義の敵は悪ではなく、別の正義だと誰かが言った。
例え振り翳した刃が己にとって正義であっても、刃の犠牲になった者達にとっては許されない罪だ。
華音は自分の義を大切にしているが、それが万人に通じる正義だと思ったことは一度もない。
それでも光秀は、華音を正しいと言った。
他でもない、光秀が。
「……私はもう、泣きません。二度と、狂気にのまれない」
きっとこの先何度も、光秀の言葉が己を支えくれると信じているから。
「強い子だ。__よしよし」
光秀が囁きながら、華音の頭を何度も撫でる。
華音は大人しく、されるがままとなった。
「……世話をかけました」
「何を構うことがある? 俺はお前の夫だぞ。お前の泣き顔を見ていいのは、俺だけだ」
光秀の力強い琥珀色の眼差しが、華音の黒曜石の瞳を射抜く。
その眼差しが、どうしても華音には、嘘や意地悪には見えなかった。