第16章 姫さんと狐の噂
「おいで、華音。すぐに旅支度を始めよう」
「待て、光秀」
「話の長い男は嫌われるぞ、秀吉」
「いいから言わせろ。百歩譲って、お前が何を企んでいようが俺を騙していようが、もうどうでもいい」
「………」
「一億歩譲って、信長様を裏切っていても構わない。俺がお前を叩き斬れば済む話だ。だけどな、華音だけは裏切るな。何があろうと、絶対にだ」
「……!」
「………」
ふ、とかすかに微笑んだだけで、光秀は何も言わなかった。
華音の肩を抱き寄せて歩き出しながら、腕組みして見送る秀吉にただ、ひらりと手を振ってみせた。
光秀が華音に用意したのは、普段着る袴や小袖のようなものではなく、華美でカラフルなデザインの着物だった。
向かう先が高貴な血筋の大名で、華美な着物。
そこから自分達はどう動くのか推測した。
「芸者、ですか」
「正解だ。旅芸人に扮して、例の国へ潜り込む。身なりが『らしい』ほど、身分の高い人種は俺たちを『旅芸人』というくくりでしか見なくなる」
「流石ずる賢い」
「こら、『ずる』じゃなく策略だ。華音、未来の夫に、もう少し優しくしてくれないか?」
「まだ余興を続けるつもりですか」
「ずっと続くぞ」
光秀の言葉も華音の言葉も、冗談なのか本気なのか分からない。
なのに、二人にはこの距離感が妙に心地良かった。
「お前には踊り子の衣装を用意した。着てみろ、華音」
「……どこで?」
「無論ここに決まっているだろう。なに、俺は構わないぞ」
「私が構う」
光秀を外に押しやって、華音は着替え始めた。
袴や小袖はなんとかなったが、踊り子の衣装となるとまた勝手が違う。
辛うじて紐を結ぶことはできたが、その先のことが分からない。
数秒の葛藤の末、襖を開けた。
「やっぱり着付けお願いします」
「判断が早いな」
華音の仕事が早い理由の一つは、判断が早いことである。