第16章 姫さんと狐の噂
「___ところで、噂になってるらしいぞ、お前ら」
仕事の話が済んだあと、政宗手製のおはぎを華音は咀嚼して飲み込んだ。
「噂って?」
「あの光秀が、ついに陥落したってな」
「かんらく」
ものすごく嫌な予感がした華音は思わず復唱する。
政宗の顔はニヤつきを隠せずにいた。
「『明智光秀が華音にベタ惚れして片時も離したがらない』と、城下でも大騒ぎらしい」
華音の飲んでいた茶が気管に入って咽せた。
慌てて手拭いを口に当てて、落ち着いたところで口を開く。
「……光秀どの、可及的速やかに訂正し回ってください」
「つれないことを言う。共に過ごした一夜をなかったことにする気か?」
「記憶に無い」
「白を切るとはひどい女だ。だが、そういう思わせぶりなところも、そそられる」
華音が慌てるのも、光秀が甘い言葉を吐くのも珍しい。
政宗はその蒼眼を丸くする。
「へえ、噂は事実無根ってわけでもなさそうだな」
動揺する華音の顔を覗き込み、政宗は短く口笛を吹いた。
「光秀が華音をかっさらっていくとはな。まあ、横から奪うのも面白い」
政宗が口角を上げ、華音の髪に触れかけた時、反射的に光秀は華音の肩を抱き寄せた。
政宗と華音の目には、光秀の顔は笑っているのに険しいものに見えた。
「手出し無用で頼むぞ、政宗。華音を巡って独眼竜と斬り合うのは御免だからな」
「そうか? 俺はお前との手合わせならいつでも歓迎するけどな」
あながち冗談でもないのが政宗の恐ろしいところである。
華音は顔が固まっている。
脳のキャパシティを超えた顔をしている。
客観的に見れば奇妙な状況だ。
光秀が華音に惚れ込んでいるという噂も、政宗への牽制も何一つ嘘がない。
噂という目下で、光秀は華音にいくらでも本音が言える。
想いを溜め込まずに吐き出せるのは有り難かった。
「にしても……」
堪えきれないように、政宗が笑い出す。
「光秀を焦らせるとは、華音、お前なかなかの大物だな」
「…??……?」
「その通り。俺はこの娘に、すっかり参っているらしい」