第16章 信玄
男は妖艶な微笑みを浮かべて言った。
(この人の方が、よっぽど危険な香りがする!
ドキッとするようなセリフがスラスラと出てくるところなんか女性慣れしているのを肌で感じる。
こういう時は流されないように話を変えるに限る。)
『どんなお菓子が出てくるのか楽しみです!』
『ん?お嬢さんは意外と、かわすのが上手いんだな。気に入った。』
(えぇっ!何故か逆効果…。)
『お待たせしました~。』
そこへ、注文の甘味がやってきた。
『ナイスタイミング!お姉さん!』
思わず声に出た。
『無い、酢?』
『あはは、なんでもありませーん。』
ひなは顔をひきつらせ運ばれてきた甘味に手をつける。
「水無月」という名の、ういろうの上に小豆を乗せた三角形の和菓子だ。
『んっ、美味しい~!涼しげで暑さが和らぐ感じがします。』
『それは良かった。』
男がニコニコとひなを見つめて笑う。見つめられながら食べるのって、意外に恥ずかしい。
『あ、あのー…お武家様は召し上がらないんですか?
甘味を食べるの楽しみにされてたのに。』
俯くと、男の手が、ひなの顔にかかった髪の毛を そっと掬い耳にかける。
くすっ、と笑うと男は、
『もっと美味そうな甘味が目の前にあるものだから、つい見とれていたよ。』
と甘い言葉を囁く。
(うぅっ、わたし今、絶対耳まで赤い!)
甘味を ひときれ串に刺すと、ひなは男の目の前に差し出した。
『どうぞ!』
男は苦笑いすると、差し出された甘味をパクりと食べた。
『うん、本当だ。美味い。それと、お武家様なんて堅苦しいな。俺の名前は武田信玄。信玄と呼んでくれ。』
(…まさかの武田信玄ですか!?歴史で習ったのは、もっと怖いイメージたったような…。
ん?それより、私、その信玄さまに「はい、あーん。」って食べさせちゃった気が…。)
そんなひなの焦りなど信玄は知るよしもなく。
『おや、俺のお目付け役に見つかったらしい。』
通りの向こうをチラリと見てから席を立つ。
『それじゃあ、お嬢さん。えぇと、名前を聞いてもいいかな?』
(さっきは本当の名を言ったらマズイと思ったけど、考えたら『信長』って名乗るのも…。)
『ひなです。』
『ひなか、いい名だね。気を付けて お帰り。』