第61章 綢繆未雨(ちゅうびゅうみう)
大きめの盃が謙信の手から滑り落ちる。
『いてっ!』
見事に膝に当たったらしく、幸村が顔をしかめた。
『それは初耳だな。』
『だろうな。俺も今、初めて伝えた。』
ますます苦悶の表情を浮かべる謙信を、にこやかに見詰めたあと付け足した。
『ああ、そうだ。一緒に手紙が入ってい…。』
信玄が言い終わる前に奪い取り、謙信は壊れ物でも扱うように、そっと手紙を開いた。
〜新しい年を迎え、皆様ますますご健勝のことと存じます。私も元気に過ごしております。
昨年は何かとお世話になり、本当にありがとうございました。
少しですが、こちらで今、人気のある地酒を贈ります。
よろしかったら皆様でお呑みください。
きちんとしたご挨拶には、また改めて伺いたいと思っています。〜
『…信玄、ここには皆様で、とあるが?俺を誑(たぶら)かすとは、いい度胸だな。』
謙信が、脇に置いている刀の柄に手をかける。
『落ち着け、ほんの冗談だ。新年早々 癇癪をおこすな。』
『おこさせてるのは誰だと思っている。』
食ってかからん勢いの謙信をものともせず、眼前に何かを突き出した。
咄嗟に身構えた謙信が、目を細め突き出された物に顔を寄せた。
『御守り、か?』
露草(つゆくさ)色の布地で作られた可愛らしい御守りが、信玄の手元で揺れている。
(※露草色〜明るい薄青色)
『ああ、太郎坊(たろぼう)神社の御守りみたいですね。確か、勝利と幸福の神様が祀られているはずです。』
横から覗き込み、佐助がうんちくを語る。
『ちなみに俺のはコレだ。』
反対の手には、鳶(とび)色の御守りが揺れる。
(※鳶色〜赤暗い茶褐色)
『で、こっちが幸村の分と、佐助の分だそうだ。』
続けて唐紅(からくれない)色と、花萌葱(はなもえぎ)色の御守を懐から取り出し、それぞれの膝元に置いた。
(※唐紅〜濃い紅色、深紅)
(※花萌葱〜強く濃い緑色)
『わざわざ俺達の為に神社に参拝して、それぞれの雰囲気に合わせた色の御守りを買ってくれたんだろうな。
律儀というか何と言うか。』