第60章 感恩戴徳(かんおんたいとく)
あの時はまだ、みんなに女信長だと思われてた頃だっけ。
ほんの数ヶ月前の事なのに、なんだか物凄く前のことみたい。
そんな思いを巡らせながら、まじまじと元就の顔を見る。
『なんだよ。俺の顔には黄な粉なんてついてねえぞ。』
『別に同類にしようとしてる訳じゃありませんよ!ただ…。』
『ただ、なんだよ。』
『ただ、皆が思うほど悪い人じゃないのに、って考えてただけです。』
『は…?』
元就は、言葉の意図がつかめないという顔だ。
『勘違い甚だしいお姫さんに言っとく。
今は同盟を結んじゃいるが、俺にとって織田信長は目の上の「たんこぶ」だ。
日ノ本を1つに、なんて甘ったるい考え、唾棄(だき)したくなる。
俺は、そういう思考の男だ。それでも悪い人じゃ無いって言うのか。』
(※唾棄~対象を嫌い軽蔑したりすること。)
ずいっと顔を近づけて元就が問い詰める。
『うーん、人にはそれぞれ好き嫌いがあって当たり前だし、むしろ自然な事かと思います。
それに、何かを考えることは罪になりません。行動に移すかどうかです。
もし大切な人たちに何かしようというのなら、私は全力で止めますけどね。』
にっこりと笑って、ひなが腹をさする。
『はぁー、苦しい。お腹一杯で、もう食べれません!』
『お前が勝手に食べて苦しがってんだろうが、阿呆。
…ほらよ。』
その様子に呆れながらも元就がいった。
『置いてくから明日またゆっくり食べろ。』
ひなに餅の包を握らせると、
『よっと。』
立ち上がりざまに外套を掴み、流れるような仕草で羽織る。
『やっぱ、もう帰るわ。まあ、また何処かで会えたら、そん時はよろしくなぁ。』
『え、あの…。』
慌てて後を追おうとするが、ひなは広場の人混みに圧されて思うように動けない。
別れの挨拶すらままならず、元就一行は引き潮のように去っていった。
………