第60章 感恩戴徳(かんおんたいとく)
長政と元就の様子を傍観していた信長が、すっと目の色を変える。
『俺に詫びだと?』
地を這うような声を聞き、ひなが反射的に背を伸ばす。
(あ、別に私が言われてる訳じゃないんだっけ。)
そう思いながらも、信長の声は、その場にいた人々を飲み込む重みを感じさせる。
『ああ。ちょっとヤボ用で助っ人に頼んだんだが、
直接、商品の受け渡しが出来ずに申し訳無かったと思ってな。
おい、お前ら。あれ、持ってこい!』
元就が後方に控えていた家臣達を呼び立てる。
『はっ!』
弾かれたように、家臣たちが何かを抱えて近付いてくる。
その中に、ひなの見知った顔もあった。
(あ、あの人…。)
『こんばんは!』
ひなが声を掛けると、人好きのする笑顔が返ってきた。
『これはこれは、ひなさま。すっかりお元気になられたようで何よりです。』
『お気遣いありがとうごさいます。ええと…。』
(そうだ、私この人の名前、知らないんだっけ。)
ひなの考えていることが解ったのか、先に口を開いたのは家臣の方だった。
『失礼致しました。私は口羽 通良(くちば みちよし)と申します。
元就様のお傍で厄介になっております。先日は、きちんとしたご挨拶もせずに安土城を去ってしまい大変失礼致しました。
実は、居城である吉田郡山城に、攻め入る軍ありとの情報が入り、取る物も取り敢えず帰還した次第でございました。』
折り目正しく口羽が頭を下げる。
『そうだったんですね。それで、大丈夫だったんですか?』
『えぇ。ただの誤報であることが解りまして、一安心でした。』
『そうですか。良かった。』
(本当に良かった。元就さんなら、例え体がボロボロでも、戦が始まったら真っ先に飛び出しちゃってただろうし。)
『口羽、聞かれてもいねぇことをペラペラと喋るんじゃねぇ。』
そう言うと、先ほど家臣たちが後ろに置いた包みを無造作に掴み取り、信長の目の前に広げた。
『俺の国、安芸の城下で人気の「川通り餅」だ。山ほど持ってきたから、皆で食ってくれ。』
『取引の詫びが菓子とは、随分安く見積もられたものだな。俺を童とでも思っているのか?』
信長は元就を見据えたまま問い掛ける。