第59章 傾国美女(けいこくのびじょ)
一行は、静々と広間に入る。
長政は信長の前に進み出ると、畳に擦りつけんばかりに頭を垂れた。
『…先頃は、度重なる非礼の数々、誠に申し訳ござりません。
此度は、いかなる処罰も受ける覚悟で参った次第でございます。
ですが、ここにおります市は、貴方様の実の妹でもあり、私の謀(はかりごと)など預かり知らぬ身。
とうか、お慈悲を!』
広間が、しんと静まり返る。
(えっ。長政さんは信長に裁かれて死ぬつもりで安土城に来たっていうの?)
暫しの沈黙の後、信長の良く通る声が広間に響く。
『貴様、何か考え違いをしているのではないか?
市は貴様の嫁になったのだ。その時から覚悟は出来ておろう。』
それを聞いて長政が、ぐっと下唇を噛んだ。
『市、お前も相違ないな。』
信長に尋ねられ、市がゆっくりと顔を上げる。
『はい、兄上様。重々、承知しております。』
(わ…。)
長い黒髪で隠れていた顔が露わになると、白い肌に涼し気な目元が印象的な美しい顔が見えた。
(す、凄い綺麗な人。噂では聞いてたけど、現代に行ってもモテモテになるの間違いないよ!)
『そんな無慈悲な!やはり貴方は魔王なのか。』
長政が絞り出すような声を上げる。
『それは褒め言葉と取っておこう。』
信長が脇に置いていた刀に手を伸ばす。
『信長さまっ!』
思わず、ひなが身を乗り出す。
次の瞬間。
それは無用の心配であることが解った。
強張る長政の目の前に差し出されたのは、刀の脇に置いてあった酒瓶で、
反対の手には、新しい盃が握られていた。
『へ?』
目を丸くするひなを尻目に、信長が さらりと告げる。
『長政。俺はあの時、言ったはずだ。簡単に死ぬことは許さん、と。』
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長政は嗚咽を噛み殺し、信長を睨み据えた。信長は視線を合わせるように体を屈め、長政の肩を掴む。
『恨め。もっと憎め。俺を罵詈雑言で罵るがいい。
そうして俺の寝首を掻き切る手段でも考えながら、生きろ。簡単に死ぬことは許さん。
貴様は死んで楽になれるかもしれん。
だが貴様の側で、貴様の身を案じ、心を擦り減らして待っている者がいることを決して忘れるな。』
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