第59章 傾国美女(けいこくのびじょ)
『それは、そうなんですけど…。』
今日は、以前に届いた手紙の通り、長政と市が安土城に訪れる予定だ。
(信長さまと違って、こっちは初めて会うんだよ。いくら手紙のやり取りはしてたって緊張するし。
長政さまに至っては、全くの未知数!
それに…仲のいい方を、先の織田軍との戦で亡くしたって聞いたばかりで、どう対応したらいいのか解らない。)
『誰に何を聞いたか知らんが、貴様が気に病むような事はない。案ずるな。』
言いながら、空になっているひなの盃に、もう一度酒を注ぐ。
『あっ、すみません!お酒は私が。』
ひなは、近くにあった徳利を掴むと、信長に酌を返した。
暫くして、家臣が信長に歩み寄る。
『信長様、浅井長政様と、奥方の市様ご一行が、お着きになられました。』
『来たか。通せ。』
『はっ。』
急ぎ足で広間を後にする家臣を見て、ひなの緊張が更に強くなる。
信長が、くいっと手招きをした。
(なんだろう?)
信長の方に体を寄せると、大きな掌で顎を掬われた。
『ひなは、ひなだ。気圧される必要はない。ただ、楽しめ。
貴様は、元・女信長だぞ。』
にやりと笑いながら、信長が指で数回、ひなの頬を撫でた。
『…っ!』
(今の方がドキドキして、なんか緊張が解けちゃった。)
『ありがとう…ございます。』
その時すっと襖が開き、外の澄んだ空気が広間に流れ込んだ。
ハッ見ると、深々と頭を下げた男性と女性の姿がある。
『本日は、お招き頂き誠にありがたき所存に御座います。
信長さま、御慶(ぎょけい)申し…』
『なんでぇ、なんでぇ!こんな冷たい廊下の上で、ご挨拶とは!』
言い終わらないうちに、後ろから着いてきていた慶次が口を挟む。
『こら、慶次!挨拶の途中だ。口を慎め!』
すぐさま秀吉に窘(たしな)められたが、
『いや、慶次の言う通りだ。挨拶などいらんが、やりたければ広間の中でやるがいい。』
と言う信長の一声で、二人が口を噤(つぐ)んだ。