第56章 相即不離(そうそくふり)
信玄は、その背中を見送り困った顔で息を吐く。
『そんな優しい事を言うなんて、こりゃ明日は雨だな。
ひな、お前は無自覚だが色んな輩(やから)を助けてくれている。…どうか無事でいてくれよ。』
切ない願いを胸に隠し、信玄は家臣に、義景の亡骸を丁重に埋葬するよう指示を出した。
その時、激しい水音をたてながら、向こう岸から人影が近付いて来る。
『何奴だ!止まれ!』
信玄の家臣が声を上げ、張り詰めた空気が辺りに漂う。信玄も刀の柄に手をかける。
『止まれと言ってるのが聞こえないのか!』
一人の家臣が刀を抜き放った。
『待て!』
信玄が片手を広げて家臣の刀を止める。
目の前に立つ人影を良く見ると、着物の胸元が真っ赤に染まっている。
荒い息を必死に落ちつかせ、男が顔を上げた。
『信玄…さま。』
『兼続!?どうしたんだ!』
ふらりと倒れる体を、咄嗟に跪(ひざまづ)きながら信玄が抱え込む。
『救護班を呼んできてくれ。』
信玄が近くにいた家臣に声を掛ける。
『はっ!』と短く返事をして家臣が去ったのを確認し、兼続に尋ねる。
『何があったんだ。』
『話せば…長く…なります。』
浅い呼吸の合間に兼続が答える。
『おい、何事だ。救護班が呼ばれたようだが、他に誰が怪我人でも…兼続?』
騒ぎを聞きつけて戻ってきた謙信が、驚きに目を見開く。
『…謙信さま、お会い出来て良かった。ご無事で何よりでございます。』
『何を…言っているのだ?』
兼続の言葉に、謙信と信玄が顔を見合わせる。
兼続は胸元から一通の書簡を取り出し謙信に告げる。
『取り急ぎ こちらをご覧ください。信長様から預かった書簡でございます。』
『なんだと?』
謙信は書簡を受け取ると、急いで中を確認する。
中には、朝倉義景と浅井長政が手を組み織田軍を袋の鼠にしようと画策していること、
ひなが毒を盛られ生死の境を彷徨っていること
、その解毒剤を探していることなどが、信長の達筆な文字で綴られていた。
読み終えた謙信は、不可解なものでも見るような目で手紙を見つめている。