第56章 相即不離(そうそくふり)
側近は、そこまで一気に話すと、言葉を詰まらせた。
『そこからは私が話そう。』
いつの間にか、倒れていた義景が意識を取り戻し、地面に胡座をかいて座り込んでいた。
『鷺山殿は定期的に私の城へ足を運び、薬を置いていった。
ところが、ある日パッタリと その足が途絶えた。
信長に捕らえらていたと知ったのは、妻と子供が息絶えた後だった。』
義景は、何処と言うこともなく視線を彷徨わせる。
『私は信長を恨んだ。恨んで恨んで、盟友でもあり、信長の義理の弟でもある長政に打ちあけた。
長政は、信長と戦うことを二つ返事で受け入れてくれたよ。』
義景は一度、寂しげに笑った。ゆっくり立ち上がり、ふらふらと歩き出す。
『おい、そっちは…!』
信玄が叫び声を上げ伸ばした手は虚しく空を切る。
…変わり果てた姿の義景が見付かったのは、半刻程経ってからだった。
崖下を流れる川の下流から、すでに息絶えた姿で。
『ああ、解った。』
信玄は家臣からの報告を受け、河原の小石を踏みしめながら、亡骸の横で佇む謙信の元へ近付く。
『先刻、信長や安土に居る他の武将たちに向けて、停戦するよう伝令を出した。
義景が亡くなった今、無駄な戦をする必要は無いだろう。』
『そうだな。』
言葉少なに同意する謙信を見て、信玄が尋ねる。
『伊勢姫の事でも思い出してるのか。』
少し考えてから、謙信が答えた。
『そうでもあるし、そうでないとも言えるな。
愛する者を失った悲しみは俺にも痛いほど解る。
俺は恨みの矛先を己に向けたが…誰を恨んだ所で亡くなった者は戻ってこない。
それに…今は会いたいと思う者がいて、その気持ちの方が恨みよりも勝っている。
此奴にも、そんな誰かがいれば、虚しく散ることも無かったかもしれんと思っただけだ。
このまま安土へ向かうのだろう、行くぞ。』
くるりと踵を返し、謙信はその場を離れた。