第55章 胡蝶之夢(こちょうのゆめ)
するとまた、どこからともなく集まってきた蝶達が ひなの回りを飛び始めた。
『きゃっ!』
反射的に身体が硬直した。
(帰蝶さんは、羽の鱗粉には毒があるって言ってたけど…。)
『やっぱり、綺麗だな。』
触るなと言われると触りたくなるのが心情だ。
そっと手を伸ばして一羽の蝶に触れた瞬間、キラキラと光る粉が舞い上がり、ひなの体を包み込む。
『あっ…。』
それに伴うように、ゆっくりと視界がボヤけていった。
(目を…開けていられない。こんなに綺麗な光景、ずっと見ていたいのに。)
ひなの願いに反し瞼はどんどん重くなり、強い力で体が引っ張られるような感覚に襲われる。
(ん?)
数回 眩しげに目を瞬かせ、ひなが目を開ける。
『ひな!?』
『いえや…す?』
目の前は、まだキラキラ光る粉が舞っている。いや…よく見ると、障子から漏れ差す朝の光だった。
その光を背に、ひなを覗き込む心配そうな家康の顔があった。
『あ、れ…蝶々…は?』
『蝶々?夢でも見たの?っていうか具合は?吐き気はない?』
ひなは家康に尋ねられ、すっかり気分が良くなっていることに気付く。
『あ、うん。平気。』
苦しくもなく瞼も重くない。喋り辛さも無くなってるようだ。
気がかりなのは、帰蝶とのやり取りが、夢だと言いつつ現実味を帯びていたこと。
(私が死の淵を彷徨ってて会ったんなら、帰蝶さんにも何か起こってるってことなんじゃ…。)
言い知れぬ不安にかられる ひなだった。
※胡蝶之夢~現実と夢の区別がつかない状態のこと。古代中国の思想書『荘子』の話から。