第45章 意馬心猿(いばしんえん)
『すみません、顔を洗って参ります…。』
(俺まで余計な事を思い出してしまった。頭を冷やそう。)
兼続が立ち上がろうとした時、顔に影が落ちた。
(ん?)
『謙信さま、『越後武士(えちごさむらい)』を土産に買ってきました。
これが俺のいた時代では一番強い日本酒です。いや強すぎてリキュールに分類されるんだったか。』
(この飄々とした物言いは…。)
兼続が声の方を振り向くよりも早く、ダンッ!と足音が響き、光る物が目の前を横切った。
大きく一歩踏み出して、謙信が刀を振るっていたのだ。
キィン!と耳を刺す用な音が続く。
そして、それを事も無げにクナイで受け止めているのは、紛れもなく佐助だった。
『佐助!お前…。』
(無事だったのか!)
『酷いなぁ。怒っていると思ったから、折角こうして土産を持ってきたのに。』
佐助の言葉に、半笑いの謙信が刀を収めながら答える。
『ふん、貴様が消えたくらいで誰が怒るというのだ。』
『それは良かった。ちなみにひなさんも無事ですが、安土城に戻ったので一緒ではありません。悪しからず。』
佐助がペコリと頭を下げる。
(ひなも無事…そうか、無事に戻ったのか。)
『ハハッ!』
兼続の口から思わず笑いが漏れた。
『お前が笑うなど珍しいこともあるものだ。佐助、さっさと土産の酒を注げ。』
『はい。』
酒瓶の封を切ると、佐助は謙信の杯に酒を注いだ。謙信は間髪いれず飲み干す。
『兼続、お前も飲め。』
『いえ、私は、この後まだ仕事が残っておりますので…。』
言いかける兼続に空になった杯を押し付け、謙信が顎で合図する。
兼続が杯を持ったのを確認すると、佐助はそこにも酒をなみなみと注いだ。
『謙信さまに負けず劣らず酒が強いと聞きました。俺は下戸なんで、代わりに飲んで貰えると ありがたいです。』
佐助が頭を下げる。