第8章 トラジェディの幕開け【呪胎戴天】
「お願い‼︎ メグしかいないの! 野薔薇を助けられるのも、ユージを連れて行けるのも! わたしじゃできないけど、メグならできるでしょ? ね?」
早口で捲し立てる。伏黒の震える手を取り、何度も呼びかけた。
特級呪霊は、慌てふためくこちらを眺めながら、静観している。どう見ても、こちらを侮っているようだった。
仮に逃げられても、追いかけてすぐに殺せる。時間稼ぎで一人が残っても、そいつを殺して、逃げたヤツも殺せる。
そんな風に思っているのかもしれない。
「メグ!」
決心を促すように、詞織は伏黒を呼ぶ。同時に、ギリッと奥歯を噛み締める音が耳に届いた。
次の瞬間――後頭部に手が回されたと気づいたときには、伏黒の顔が迫っていて……。
え、と思ったときには、唇に柔らかいものが押し当てられる。
口づけられたのだと分かったときには、すでに離れていて。
耳元で低い声が震えた。
「……"絶対" 死ぬな――"絶対"に――……俺のところに帰ってこい!」
何かを振り切るように。突き放すようにして詞織を解放した伏黒は、すぐに鵺を呼び出して走った。鵺は浅く呼吸を繰り返して痛みに耐える虎杖を爪で掴み、先頭を走る主人を追いかける。
走り去る直前、伏黒が息絶えた岡本 正の胸元の名札を引きちぎっていったのが見えた。
やはり、彼はどこまでも優しい。
彼の触れた唇を思い出し、詞織は口角を上げる。
恐怖で手足は震えるのに、不思議と頭は澄み渡っていて、胸の奥底は温もりに満ちていた。
心から、旋律が溢れ出す。
「"絶対"にメグのところへ帰る。だから――」
――オマエには負けない!
一人残された詞織を見て、呪霊がはしゃぐように飛び跳ねた。