第34章 依依恋々
京で過ごす朱里たち一行を密かに見守り、馬を飛ばして先に大坂へと帰り着いた。腰を落ち着けるのもそこそこに、不在の間に溜まっていた政務を一気に片付けて…今に至るのだった。
休みなく動いていても疲れはさほど感じていなかったのだが、顔色に出ていたとは迂闊だった。
「あの…まだお休みになりませんか?」
朱里は俺の不自然な態度に戸惑っているのか、それ以上触れることはせず、もじもじと指先を動かしながら問いかける。
湯上がりの身体からは匂い立つような色香が溢れていて、ほんのりと桜色に染まった頬が愛らしい。
先程一瞬触れただけの手の温もりがいつまでも忘れられない。
京へ出立する前から互いにぎこちなくなってしまい、結局あまり話も出来ぬまま離れてしまった。
久しぶりに手を伸ばせば触れ合える距離で朱里と向き合っていることに何とも言えない気恥ずかしさのようなものを感じて、つい素っ気ない態度を取ってしまう。
「いま少しかかる。先に休め」
「…っ…そう…ですか」
何か言いたそうに口を開きかけたが、結局何も口にせぬまま、のろのろと立ち上がった朱里は名残り惜しそうに一人で寝所へと下がって行った。
「っ、はぁ……」
息詰まるような静寂の中、トンっと小さな音を立てて襖が閉まった瞬間、信長は額を押さえて重たげな吐息を吐き出した。
それまで感じていなかった心身の疲れがどっと重くのしかかるような心地がして、ぎゅっと胸が締め付けられた。
こんなはずではなかった。朱里を困らせるつもりなどなかった。
自分がこの場で何事もなかったかのように振る舞えば、ぎこちなくなっていた関係も元のとおりに戻っただろう。
「おかえり」と言ってやって、京の土産話の一つでも聞いてやればこの件はそれで終いにしようと思っていた。
京で見た朱里の楽しそうな笑顔が頭から離れなかった。
愛しい女が幸せそうに笑うのが自分の隣ではないことに心がじくじくと嫌な感じに傷んだ。
(これではまるで聞き分けのない童ではないか…)
苦虫を噛み潰したように酷く顔を顰めて信長は何かに耐えるようにぐっと唇を引き結ぶ。
独占欲を抑えられず、歩み寄れなかった大人げない自分に嫌気がさしていた。
自分はいつからこんなにも余裕がない男になったのだろう。