第25章 それを恋と呼ぶなら
『負けた者は勝った者の願いを一つ聞く』
(私は信長様のお願いを一つ聞かないといけないんだよね…)
一体どんな願いを言われるのかと身構えるも、賭けの話などなかったかのように信長様はゆったりと盃を傾けるばかりで何も仰らない。
迷いながらも自分から口を開いた。
「あの、先程の賭けは…」
「ん?」
「私は勝負に負けました。ですから、信長様のお願いを仰って下さい!」
勢いよく言うと、信長様は意外そうな顔で私を見る。
「願いならもう言っただろう?また囲碁の相手になれ、と」
「えっ!そ、それがお願いなんですか?そんなことでいいんですか?」
もっと無理難題を言われると思って覚悟を決めていたので、拍子抜けしてしまう。
「ふっ…夜伽でも命じた方がよかったか?」
「よ、夜伽っ!?夜伽って…」
男女の閨のことに経験がない私は『夜伽』という言葉を聞いただけで慌ててしまう。
「………まぁ、それはいずれな…」
「えっ!?な、何ですか?何か言いました?」
ボソッと呟かれた言葉が聞き取れなくて益々焦って顔色を変えた私を見て、信長様は可笑しそうに声を上げて笑った。
(っ…こんな風に楽しそうに笑うんだ…)
安土に来て数日経つが、信長様が声を上げて笑うところなど見たことがなかった私は、子供のように無邪気なその笑顔から目が離せなかった。
(誰もが畏怖するような恐ろしい方なのに、どうしてだろう…気になって仕方がない。この笑顔をまた見たいと思ってしまうなんて…)
穏やかな春の風が宵闇にふわりと舞う。
ゆっくりと深まっていく夜の気配を感じながらも、私はなかなかその場を辞することができなかった。