第10章 潜入 *
煉「口内に傷はなさそうだな…」
誤魔化すように杏寿郎は呟くと、月奈の口の端を指で拭ってやる。
夜が明け始め、廊下が少しづつ騒がしくなる。
客はもうじき見世を出る時間だ。
煉「日中は俺はここにはいられない。何かあっても無理はするな」
「杏寿郎様も少しでも日中にお休みください。昨夜はだいぶお疲れの色が滲んでいましたから」
ー客と遊女でなければ唇を重ねることもなかった。俺にとって幸か不幸か…
煉「藤葉、また今日の夜に来るぞ!」
「お待ちしております旦那様」
見世の出入り口では、多くの客と遊女が名残惜しい別れを口にする。たとえ一夜であろうと、見世の中に戻るまでは客の相方を演じるのが遊女の役割だ。
歩き去っていく杏寿郎を見送り、見世の中へと戻る月奈は寝床だと前日に案内されていた部屋へと向かう。
基本的に、花魁や太夫以外は寝所を纏められており、集団生活をしている。
?「藤葉ちゃん!藤葉ちゃんの旦那様は一体何者なの!?」
「へ?あぁ…清花〔きよはな〕さん!何者と言われても…う~ん」
部屋に入った途端に声をかけてきたのは〔振袖新造〕の清花だ。天神髷を結い、垂れ目の彼女は月奈と同い年ながら持前の色気で男を魅了していると聞いている。もちろん、まだ客は取っていないものの、内儀や楼主はきっと期待しているだろう。
昨日、部屋の案内中に出会い同い年ということもあり話をするようになった。
清「内儀さんから聞いたけれど、女衒と繋がっている旦那様なんだって?あの眼帯は少し怖いけれど、随分と羽振りが良い旦那様ね」
羨ましいわぁ、と頬に手を当て首を傾げる清花は、同性の月奈から見ても可愛らしい。
「羨ましいとは…将来の花魁候補が何を言っているんですか…」
清「だって、女衒と繋がってまで藤葉ちゃんを買うんだもの。他の遊女には目もくれずにね。愛されている証拠よ!」
(その女衒も全て本職ではありません)
心の中で突っ込みを入れながらも、杏寿郎と自分は周りからどう見えているのかが分かって少し恥ずかしいような嬉しいような気持ちになる。
「清花さんは…お客が恋慕の対象になりますか?」
清「身請けを申し出てくれるくらいの方をお慕いできたら幸せね!でも、私は花魁を目指すから身請け金は高くなるわね」