第10章 潜入 *
内「あんた、そこそこに整った顔だね。これならすぐに客は付くだろう、ねぇ楼主」
わざと付けていた泥汚れを落とされ、着替えを済ませるとさすが良家の子女といったところだ。内儀と楼主はニコニコと笑いながら、月奈を売る為の手筈を整えていく。
楼「名前はどうしようか、希望はあるかい?」
(見つけやすい名前がいいわね…)
「藤の花が好きなので、藤の文字を入れて頂きたいです」
内「藤の花ねぇ。あんたはまだ咲く前だから藤の葉で藤葉〔ふじは〕はどうだい?」
コンッと楼主がキセルから灰を落とすと、内儀は決まりですねと茶屋に連絡を取る。遊郭では茶屋がいくつかあり、見世を選ぶ際に利用する客は多い。常に新しい遊女の情報が更新されているため、新規目当ての人間も選びやすい。
(あとは、杏寿郎様と天元様が気付いて見世に上がるのを待つのみ、ですね)
内「さて、これから忙しくなるよ!藤葉!」
茶「旦那、どこの見世に行かれますか?」
話しかけられ振り向いた杏寿郎は「ときと屋に」と端的に答える。片目を眼帯で隠していても、派手な髪色とがっしりとした体躯。男がひしめく茶屋の中でも目立っていた。
身に着けた物を見る限り、羽振りが良い人間であることは分かる。それに目を付けた茶屋の人間は、上客になるだろうと予測し声をかけたのだ。
茶「ときと屋ですか?鯉夏花魁でしたら今日は既に…え?新しい登録ですか?」
えぇと、と名簿をめくる茶屋の男は申し訳なさそうな表情で返答する。
茶「旦那、〔留袖新造〕ですが一人登録が先ほどありました。名前は藤葉です」
その名を聞いて杏寿郎は立ち上がった。
案内しろ、と短く呟き茶屋を後にした。茶屋の男は慌ててときと屋への案内をすべく提灯を持って後を追った。
ー藤を名前に使ってこちらが気付きやすくしたのか、頭が回る人間のようだ。
茶屋の男の先導でときと屋に向かう杏寿郎は、周囲から見ればその落ち着きから廓遊びに慣れているように見えただろう。それ程に悠然と歩いていたが、頭の中では任務に参加した遊女役の女隊士を気にかけていた。
ときと屋に到着すると、内儀が入口で出迎える。
茶屋から連絡が入っているため待機していたのだろう。隣には遊女が頭を下げて待機している、おそらく指名した藤葉だ。