第9章 穏やかな時間
千「兄上、鍛錬お疲れ様です。ところで少しお話があります」
煉「うむ!では俺の部屋で…」
言いかけた杏寿郎は、真面目な表情の千寿郎の背後で月奈が噛み痕を指差して引き攣った笑顔を浮かべている姿を目にする。いつもの笑顔のまま「よもや…」と呟くその声はいつもの声量と違って蚊の鳴くような声だった。
千「あぁ、よかったです。何のお話か分かったようですね兄上!さて、月奈さんはゆっくりお休みください。片付けありがとうございました!」
ニコリと微笑んだまま、杏寿郎の背中を部屋に押し込む千寿郎は有無を言わせない雰囲気を纏っている。
(あぁ、部屋に戻れという命令ですね、千寿郎さん…杏寿郎様頑張ってください…)
ペコリと頭を下げて月奈は自室へと戻った。
ふと、痕のついた腕を見つめ頬が熱を帯びる。
「…あの目で見つめられる方が羨ましいなんて…」
(杏寿郎様がお慕いする女性が私だったらいいのに…)
そんな願いを打ち消すように頭を振ると、ぐらりと眩暈がして床にへたり込む。鼓動が早く呼吸がいつもより浅い。
(…気を抜いたから疲れが出たのかしら?着替えて寝床に入ろう…)
ゆっくりと体を起こして、ぼぅっとする頭を抱えながら寝間着に着替えていると廊下から声をかけられた。千寿郎の声だ。
千「月奈さん、少しよろしいでしょうか?」
「大丈夫です。…どうされたのですか?」
羽織を手に取り、寝間着の上から着用していると背後で襖が開く音がする。
千「失礼します。月奈さんの腕の件なのですが…」
背中を向けていた月奈が振り向いた瞬間、千寿郎は驚きに目を見開いた。いつもの表情とは打って変わって、ふにゃりと笑う月奈。
千「あの、月奈さん?…腕は大丈夫です…っうわ!!」
ゆっくり千寿郎の近くに歩いてきた月奈は、ぐらりと千寿郎に倒れこんだ。
「…すみません…先ほどから少し動悸と眩暈が…疲れでしょうか…」
煉「千寿郎…どうし…月奈!?」
驚いた声が聞こえたのか、杏寿郎が部屋から出てくるなり目の前の光景に驚き駆け寄った。
廊下で尻餅をついている千寿郎に受け止められている月奈は、既に意識が朦朧としているようだ。