第36章 満つ
お母さんの中に宿った、小さな命。
僕がそこに手を置くたびに、ぽこっと動く。
まるで、ちゃんとここにいるよ、と
伝えてくれているように感じた。
もうすぐ会える?
待ち遠しいよ…
何だろう……
「気持ち悪い…」
それは弥生と一緒に、
夕飯の支度をしていた時のこと。
私は、勝手口を開け放ち
七輪で魚を焼いていて、
弥生はお味噌汁を作ってくれていた。
「え?気持ち悪いって言った?」
弥生は驚いたように訊き返してくる。
「ん…ううん、ちがうちがう」
私はウソの笑顔を貼りつけて
弥生を見上げた。
大丈夫だという事を伝えるために。
「ホント?」
「ホントホント」
…ホントじゃない。
気持ち悪い。
何がって、この魚の焼ける匂いがだ。
少し煙いのと、
滴る油の。
やけに胸にまとわり付く感じ。
ヘタしたら、もどしてしまいそう。
あぁだめだ。
焦がしてしまう…
せっかくのサンマが焦げてはいけない…
そうだ、大根をおろさなくちゃ。
仕方なしに、再び魚に目をやって
他のことを考えて気を逸らす。
大きく息を吸ってみても
吐いた時にさっきよりも気持ち悪くなった。
逆効果だ。
思わず口元を手で覆うと、
私の様子をずっと窺っていたであろう弥生が
「お母さん!あと私がやるから休んできて!」
私の肩に手を置いた。
あぁ、私のやいちゃん、
なんて頼もしくなったんだろう…
「ごめんね、大丈夫大丈夫」
眩暈がするわけじゃない。
熱があるわけでもなさそうだ。
コレを焼いたら、少し休めば大丈夫。
だけど、
さっき上げた弥生の大きな声が届いたのか、
「どうした?」
顔を覗かせたのは天元だった。
…この人、
屋敷中に目と耳を持ってるんじゃないかしら…。
「あ、お父さん。お母さんヘンなの」
ヘンってひどいな…。
「睦?」
腕組みをしてゆったりと台所に入ってきた天元は
七輪の前にしゃがみ込んでいた私を一目見て
「おいおい、顔真っ白だぞ」
有無を言わさず抱き上げた。
「待って!ごはん作ってるの!」
「だから私がやるって!」
弥生がさっきの言葉を繰り返す。