第9章 風柱と那田蜘蛛山
更紗はフニャっとした警戒心の欠片もない、あどけない笑顔で言葉を続ける。
「こんなにも居心地のよい場所を自ら離れるような事はしません。先程は少し気持ちが先走ってしまいましたが、今は冷静なので安心してください。両親を悲しませるわけにもいきませんし」
これを真剣な表情で言われると何か思うところがあるのではないかと考えてしまうが、更紗に限っては緩みきった今の表情の方が本心だと分かり説得力が出てくるから不思議だ。
「それならばいいんだ。俺もこの場所がいたく気に入っているので、なくなってしまっては困る」
そう言って杏寿郎は更紗の瞼に唇を落とし、顔の位置を戻させてから離れるなと言うように胸元へと抱き直す。
しかしそれは文字通り逃がさない為の杏寿郎の行動でもあった。
「困るついでに、更紗の瞳について知りたくて困っているのだが」
更紗はピクリと体を跳ねさせ腕から逃れようとするが、ガッチリ押さえられていてビクともしない。
「こらこら、逃げようとするな。言いづらいことではないのだろう?」
「そうなのですが……いきなりでしたので心の準備が……」
更紗は腕から逃れられないと理解すると、諦めたように再び杏寿郎の胸に体重を預け力を抜いた。