第8章 お引越しとお宅訪問
杏寿郎が目をつぶりしばらく経った頃、更紗は握られた力の弱まった手から自分の手をゆっくり抜き出し、その寝顔を愛おしそうに見つめる。
(誰よりも大好きです。継子になれて婚約者になれて……とても幸せでした)
胸をまるで鋭い刃物で刺されたような激しい痛みが襲い、涙が頬を伝って杏寿郎の手にポタリと音もなく落ちる。
「離れたくないよ……」
小さな小さな声で漏れる本音を自分の耳で聞き、余計に悲しくなり涙がとめどなく流れ落ちてくる。
(でも、そばにいれば命すら危うくしてしまいます)
更紗は涙を腕で拭い静かに布団から出て、乾かしておいた隊服に袖を通し、浴衣を丁寧に畳む。
余計な音をたてないよう日輪刀と羽織の入った風呂敷は腕に抱え、先程から更紗の様子を伺っている部屋の隅にいる神久夜に歩み寄る。
黒い嘴を開け、なにか話そうとする神久夜に向けて自らの口元に人差し指を置きそれを制すと、神久夜も抱え上げ廊下に繋がる障子に手をかけた。
「杏寿郎君、良い夢を……お元気で」
そう言葉を残し、パタンと障子が閉められる。
それと同時に杏寿郎は起き上がり、自分の手に落ちた更紗の涙を見る。
「離れたくないならば、ここにいればいいものを」
更紗を追いかけるため立ち上がり、そのままの格好で帯に日輪刀を念の為差し込むと近くに更紗がいないか確認して部屋を出た。