第60章 あの日を忘れない
実弥はお茶を買ってくると言って家から出て行った。お茶なんて家にあるのに、わざわざ口実を作ったところを考えると優しさは残っていたらしい。
彼が出て行ってからおはぎが私の元に擦り寄ってきたが、満足に相手をしてやることができなかった。
「それにしても痛いな」
私は鏡の前に立って頬を確認した。そこは真っ赤に腫れ上がっていた。湿布を貼ろうかと思ったがあいにく切らしていたので保冷剤で代用した。
その冷たさのおかげでようやく頭が落ち着いてきた。
『それにしても綺麗な平手打ちだったな』
「そうだね。」
『いつもお前が出て行くのにあいつが出て行ったぞ』
「……大丈夫。経験があるからね。」
うん。過去に一回こういうことあった。
あれは実弥のプロポーズを断った時だ。私は子供ができない体だから、結婚はできないと断った。…実弥は烈火の如く怒ったが。
あの時は元に戻るまで一年かかった。
今度はどれくらいかかるか。
いや、戻れないかも。
『帰ってきたら俺がアイツを引っ掻いて噛み付いてやる。だから元気出せよ。』
「そんなことしなくていいよ」
実弥が帰ってきたらちゃんと話そうと思っていた。
が、その時インターホンが鳴った。宅配便か何かだと思ったが、モニター越しに見えた人は予想だにしていない人だった。