第6章 桜は散りて
私は着実に健康になっていった。
手も動くし座れるし、車椅子に乗っても平気だし、歩くリハビリも慣れてきた。
けれど、まだまだ回復には遠い。
「霧雨さん。」
リハビリの先生がにこりと笑う。
「絵を描いてくれませんか。」
そう言って鉛筆とスケッチブックを差し出した。
私はそれを手にして、スケッチブックを開いた。問題は鉛筆だ。どうやって持つかわからない。頭が空っぽになる。
けど、役立たずな脳と違って手は勝手に動いて、鉛筆を確かに持った。
それに驚く間もなく手は動いた。
鉛筆が音を立てる。
私はただスケッチブックを見下ろして完成していく絵を傍観していた。
十分くらいだろうか。
私は手を止めた。
完成したのは、猫の絵だった。
……。何だこの猫。すごく憎たらしい顔してる。顔に変な模様あるし。
……………。
ポタッ。
そんな音がして、スケッチブックにシミが広がった。鉛筆が滲む。
ポタポタッ、と続けて音がした。
「霧雨さん?」
先生が私を呼ぶ。
絵の中の猫が私を見つめていた。
白黒の絵なのに、その目が青く見えた。
「………おはぎ…」
「えっ猫じゃないんですか?」
先生が目を丸くする。
あぁ、そうか。
私、君のことさえも…。
「家で飼ってる猫です。私、忘れちゃってました。」
会いたい。
会いたい会いたい。抱き締めたい。
ごめんねって、抱き締めて、そのままだらだらして過ごしたい。実弥も巻き込んで、二人と一匹で一日中。
そんなことでいい。そんなことでいいんだ。大したことなんて望まない。
たったこれだけのことが贅沢だとか傲慢だとか言われたら、私はどうしたらいい?
「…おはぎって名前なんですか?」
「彼の好物なんです。……不死川の。」
「ああ、そうでしたか。」
先生はまたにこりと笑った。
「じゃあ、早く会えるように頑張りましょう。」
私はその言葉に頷いた。
「あの、これもらってもいいですか。描きたい絵がたくさんあるんです。」
「良いですよ。また僕にも見せてくださいね。」
もちろんです、と答えると先生は嬉しそうにしていた。