第18章 心が痛むか、体が痛むか
パン、と音がした。
油断していた。久しぶりにこの人に会って疲れていたのかもしれない。気配で察知することも、それがわかっていて避けようという気にもならなかった。
右の頬が痛い。
叩かれたのだと、遅れて気づいた。
「なんであんたばっかり」
母親は怒鳴らなかったが、怒っていた。
「なんであんたばっかり幸せなの。私の方がしんどい思いしてるのに、なんであんたの方が不幸みたいな顔してるの。」
「………幸せ」
プチン、と何かが切れた音がした。
「お母さんは、家に帰ってもご飯がない家で育ったの?」
口にすれば止まらなかった。
「親に殴られたことある?父親に乱暴されそうになったことは?母親に存在を否定されたことは?毎日毎日怒鳴られてた?毎日毎日家で両親が喧嘩してた?」
「…は?」
「私は、幸せなの……?」
自分が不幸だと言いたいわけではない。
ただ、これが幸せというなら。
今の実弥との暮らしは……
「これ以上なんか言うなら、もう一発叩くわよ。うるさいから早く帰ってよ。あー。何年前の話掘り出してくるのかしら、全く。」
……。
「なんでこんな子になったのかしらね。」
それからのことは覚えていない。
気づけば母の家から出ていた。
右頬だけが痛んだ。
どこかのカプセルホテルに泊まろうと思った。
夜の街をふらふらと歩く。真夜中というのに人で溢れかえっていた。お世辞にも治安がいいとは言えない。
お店のガラスに映る私の顔は、右頬が真っ赤に腫れていて今にも泣き出しそうだった。
これが、幸せな人間の顔か?
学校にこんな顔の人はいなかった。親に毎日のように殴られる子なんていなかった。母親が発狂するとか、父親が髪の毛を引っ張ってくるとか、温かいご飯がないとか。
家に帰るとご飯があって、おかえりって言ってもらえて、たまには手を繋いで一緒にお出かけして、頑張ったら褒めてくれて、それから、それから……。
足が止まった。
そんなものは、幻想だ。理想だ。現実にはない。現実には、ない。全部フィクションだ。
家族とは幸せとは。
なんなんだ。
「霧雨ちゃん」
呆然と立ち尽くしていると、後ろから声をかけられた。
もはや私は限界だった。
振り返って、その顔を見て、目を見開いた。