第87章 嘘はつかないから
小さくなっていく背中を追いかけるも、距離が縮まらない。
「はあっ、はあ…!!」
走るけど、出産後の床上げが終わったばかりに体は思ったより前に進んでくれなかった。
しかも急に外に出たのでパジャマでつっかけのサンダルという格好。速く動けるはずもなかった。
「待って!お願い待って…!!」
すっかりガラガラになった声で叫んでみるけど、相手には聞こえていないみたいだ。
私はついに立ち止まった。
…彼女は神社がある山の中へ入って行ったが、もう見失ってしまった。
「……いったい、何だったの…?」
私はその場にへたり込んだ。
私が家に戻ったのはもうすぐ夜が明ける、という時だった。決してのんびりしていたわけではないが、驚くほど体が重くて動けなかったのだ。
家に帰ると、パジャマをどろんこにして髪の毛もボサボサにした私を実弥が出迎えた。
「いったいどこ行ってたんだよ!」
彼は怒鳴った。
「…ごめんなさい」
謝るしかなかった。
「だから、どこに行ってたんだって聞いてるんだ!」
「………」
「…はぁ、昨日のことはもう何とも思ってねぇから……。」
実弥はため息をついた。
私はますます萎縮した。
「……無事でよかった」
しかし、待っていても叱責は来ず。
実弥はただ私を抱きしめた。
「……君はこんな私の何がいいの?」
私はぽつりと呟いた。
別に返事なんて求めていなかったけど、実弥は答えた。
「全部だよ。だから一緒にいるんだ。」
「………」
それが嘘か本当かも、もうわからない。でも本当だったらいいなぁ、なんて思う。
そんな自分が心底嫌いだ。
「俺の前では何言ってもいい。でも子供の前ではもう言わないでくれ。それは約束してほしい。」
約束。
「わかった」
私は実弥にしがみついた。
…今、私がすがれるのは彼しかいない。
約束なんて、守れる気はしなかった。