第72章 忘却の鬼
「起きないかもしれませんよ」
浅井が、心底冷たい声色で告げた。
「多少医学について学びました。身体が軽症でも、心的外傷が原因で、意識が戻らない事も多々あると読みました」
「この娘、恐らく利き腕を負傷している」
槇寿朗も、動きの不自然さから、そう分析した。
「左腕も、力が入らない様子だった。恐らく、どうにも出来ない状況で、苦痛を回避する為に、意識を飛ばしたんだろう。戦場で、そういう隊士を大勢見て来た。⋯⋯お前の知りたかった事は、確かめられたか?」
「姉さん!!!」
環は、宇那手の姿を見て、血色を失った。泣きながら、倒れた彼女に縋り付いた。
「姉さん!!! 嫌だ!!! さっきの鬼のせい?! 嫌だ!! 私を一人にしないで!!」
「目を覚さないってどういう事?」
祐司も青ざめていた。
「何をしたの?! 姉さんに何をしたの?!」
「出て行け!!」
環が、子供らしい甲高い声で、槇寿朗に掴み掛かった。
「あんたなんか、家族じゃない!! 大嫌いだ!!! お前も!!」
最初に接触した柱が宇那手だったせいか、環は階級に対しての恐怖が一切無かった。
「嫌い!! 嫌いだ!!!」
「落ち着いて」
浅井が二人の子供を宥めた。
「ごめん。大丈夫。目は覚めると思うよ。桜里がいればなあ⋯⋯。俺はあんまり薬に詳しくないし」
そう言いつつ、彼は袖から気付け薬を取り出し、#宇那手#の鼻に近付けた。
彼女は、ゆっくりと目を開けた。
「⋯⋯終わったの?」
「安心しろ。何もしていない」
槇寿朗は、即座に事実を伝えた。宇那手は頷き、環と祐司を抱き寄せた。
「ごめんね。怖い思いをさせたね」
「違う! 師範は悪くありません!!」
「⋯⋯私は、此処を出て行くわ」
宇那手は、泣きたくなるほど優しい瞳で環を見据えた。
「此処は水柱の家です。騒ぎを起こした、私が出て行くべきです。貴女達二人は、朝になってから、蝶屋敷へ戻りなさい。村田さんたちは、これまで通り任務へ。ごめんなさい」
彼女は起き上がり、髪の毛を整えた。