第72章 忘却の鬼
宇那手は不思議な気持ちになった。
(この人は、こんなによく喋る人だった? 感情の起伏が激しかった? 動揺している⋯⋯。私のせい?)
「冨岡さん。休みましょう。ずっと、張り詰めていたのでしょう? 私が貴方に心配を掛けたから、疲れているんですよね?」
「一人にしないでくれ」
「お側にいます」
「この屋敷で眠ると、悪夢を見る。姉が殺された晩と、錆兎の死を知らされた時の事を、何度も何度も夢に見るんだ!!」
「分かります。分かりますよ。私もそうです。もう、横になってください」
「#火憐#」
冨岡は、名前を囁き、額に唇を落とした。
「本当に、無事なんだな? 何一つ失っていないんだな? 鬼舞辻にも、腕に傷を負わされただけか?」
「記憶については、私の主観で判断しかねます。覚えているつもりでも、何か忘れているかも知れない。鬼舞辻には、何もされせんでしたよ。いっそ色仕掛けに乗ってくれる様なヤツなら助かる──」
「二度と言うな」
今度は冨岡が手を振り上げた。しかし、どうしても宇那手を叩く事が出来なかった。
彼は突然立ち上がると、無言で部屋を出て行ってしまった。
(私⋯⋯怒らせてしまったの?)
宇那手は、呆然と空を眺めていた。
(身体を粗末にするから? ⋯⋯でも、私の言った事は、そんなに間違っている? 傷も負わずに、鬼舞辻の考えを変えられるのなら、その方が良いに決まってる。もし鬼舞辻が女の鬼で、冨岡さんが同じ手段に出るなら⋯⋯私はきっと納得出来る)
しばらくすると、冨岡は槇寿朗を引っ張って来た。
「コイツを躾けろ」
冨岡は、自ら手を下さず、最低な手段に出た。
「身体がどうなろうと、構わないらしい。本当にそうか、確かめたい」
「待て! 正気か!!」
槇寿朗は狼狽して、戸口に立つ水柱を睨んだ。冨岡は表情を変えなかった。
「鬼に身体を壊されてから叱っても意味が無い。貴方は、こいつに好意を抱いているだろう。好きにして良い」
「冨岡さん」
宇那手は、信じられないと言わんばかりの表情で首を横に振った。
「駄目⋯⋯。嫌です!! これは、任務でもなんでもない!! 嫌!!」
「俺の言葉を理解出来ないお前が悪い。⋯⋯好きにしろ」