第30章 鱗滝左近次
翌朝、宇那手は屋敷の誰よりも早く起きると、大量の食料を、隠の運んで来た荷台に乗せ、全員を叩き起こした。
隠を含め総勢十三名は、狭霧山の麓へ向かった。
女性たちは、藤原を妹の様に可愛がっていたし、男性たちも、佐伯以外は打ち解けた様子で会話をしていた。
「鱗滝様の修行、私も一日くらい受けても良いですよね?」
宇那手は、遠足にでも行く様なノリで冨岡に訊ねた。
「産屋敷邸の場所を割れるお前にとっては、時間の無駄だ。俺でも擦り傷一つ負わない。だが、鱗滝様は、お前の実力を測ろうとするだろう」
「それは丁度良かったです。生意気な隊士に、私の凄さを見せつけられます。尤も、私の動きを目で追えるとは思えませんが」
ふふっと笑う宇那手に、冨岡はあからさまに嫌そうな視線を向けた。
「話し方が胡蝶に似て来た」
「怒りを殺して、笑っていようとすれば、皆、こうなってしまうのかもしれません」
宇那手は、少し悲しそうに答えた。強くなればなるほど、自分の感情が死んで行くのは分かっていた。階級が上がれば、それに見合う振る舞いも求められる。息が詰まりそうだった。
隊列を率いて歩いていたせいで、狭霧山の麓へ着いたのは夕方だった。
天狗の面を付けた鱗滝は、小屋の外で薪を割っていた。
「鱗滝様。お久しぶりです」
冨岡が膝を着いて礼の姿勢を取ったので、もそれに倣った。
「お初にお目にかかります。宇那手火憐と申します。今回は、隊士たちの訓練を引き受けてくださり、ありがとうございます」
「お前が水柱の継子だと?」
鱗滝の言葉に、驚いたのは冨岡だった。宇那手は、いつの間にか、擬態の精度を更に上げていたのだ。完全に普通の小娘にしか思えない。鱗滝が力量を測れなかったのも、無理は無い。
「正確には、水柱と、炎柱の継子です。蟲柱も、彼女を後見人に指名しました。恐らく、どの柱の席が空いても、次に任命されるのは、この娘です」
冨岡の説明を訊き、鱗滝はしばらく黙った。そして、唐突に抜刀した。その時既に、宇那手は鱗滝の間合いの外に出て、刀を構えていた。