第1章 ここは私の世界じゃない
あの後結局我慢の限界が来た朱里は、ローを追いかけ回した。思わず部屋から出て船の中全てを駆け巡ってまで追い掛けて、とうとう飛び蹴りを食らわせる事に成功して朱里は満足したと言わんばかりに笑顔になった。
それを途中から見ていたペンギン、シャチ、ベポは呆然としていた。
「…朱里、お前…記憶戻ったのか?」
「へ?」
「何だよもう、大人しい朱里とか不気味だったんだよなぁ!」
「ん?」
「良かった、いつも通りキャプテンとイチャついてるんだね!」
「え?」
彼等の求めている朱里にはまだ戻っていないのだが、どうやらオドオドとしていた自分への違和感があったらしい。そして、先程の追いかけっこがイチャついているとは、普段どんなやり取りをしているのか。
「あの、記憶…別に戻ってない…」
何とかその一言を言えば、3人ともザワっとした後にヒソヒソ話を始めた。
「え、記憶なくてあれ?」
「記憶なくなったら大人しくて可愛い女になるかと思ったら…」
「朱里は…記憶なくても、朱里なんだね…」
そんな3人の会話は、聞こえてはいないが予想出来ていた朱里。グダグダと悩んでいても自分に何もプラスがないのであれば…自分らしくいた方が良いのかもしれない。
「えーっと、ロー?」
「なんだ?」
「これから、宜しくね」
朱里のその言葉に、ローは優しい笑顔で応える。
「あぁ。宜しくな」
本当はもっと沢山考える事はあった。それこそロー達からすれば数年一緒にいた人間が自分との思い出を無くしてしまっているのだ。ローにとっては恋人であるその記憶もない。その感情を彼等は朱里の為に出さずに頑張ってくれている。時折見えてしまう抑えきれない感情を思えば、どれだけの存在だったのかも分かる。なら、自分1人が被害者のように悩むのはやめよう。いつか、戻れるかもしれない…そう信じて生きよう。
「私は私らしくいればいいよね…」
恐怖もある中、前を向くと決めた。それがどれだけ辛い道かも分からないけれど。逃げるのだけは違うと思ったから。いつかきっと戻れるとだけ信じて朱里は笑う事にした。