第6章 幻月
「はい…」
「よし…じゃあ、俺は帰るからな。昨夜は、一人看取ってなあ…実は寝てないんだ…」
「え…?」
「私は、今はじいさんばあさんの看取り専門医でな。翔くんのとこみたいに、昔からの患者さんは診ているがね」
「看取りって…患者さんが死んだってこと…?」
「そうだよ。大野くん」
先生は笑うと床に置いていた黒いカバンを持った。
ドアノブに手を掛け、それから俺の顔をもう一度見た。
「私はね、何人もの命を看取ってきたけども…どれも尊い命だった」
「…尊い…?」
「そうだよ、大野くん。昼間に見える月みたいに…儚くて、美しいもんだよ…人間の命は」
少し笑うと、笹野先生はドアを開けた。
「月…?」
「…人の一生は、空みたいなもんだ。烈日の降り注ぐ暑い時間もあれば、冬月の輝く寒々しい夜もある」
ドアを開けたまま、先生は髭の伸びた顎に触った。
「君は今、冬の夜闇にいるかも知れない。だがね…空を見てみなさい。太陽は無くとも月が、必ず君を照らしている」
俺を…照らす…?
「闇ばかりでは、ないということだよ…大野くん」
闇ばかりではない…
家や和也さんの部屋は…暗かった
でも、ここは…先生の家は明るい
先生が、俺を照らしてくれてるってこと…?
「自分を大事にしなさい。大事にできるのは、自分しかいないんだからな。自分を守ることは悪いことじゃない。誰かに頼ることは悪いことじゃない。生きなさい。精一杯」
それだけいうと、笹野先生は寝室を出ていった。
パタンとドアが閉じて。
部屋の中は、静かになった。
5月の陽の光が、部屋の中を温かく照らしている。
「精一杯…生きる…?」
自分を…大事に、する…?
どうやって?