第72章 笑顔を見せて
光希はポケットから一枚の紙を取り出し、机の上に広げた。
善逸はそれを見て、大きく息を吸って、………ゆっくりと吐いた。
「これは………お前の本意か」
善逸の問に、光希がこくりと頷いた。
『婚約破棄 承諾書』
上手くはないけれど丁寧な字で、そう書かれていた。
部屋に入った時に墨の匂いがした。これを書いていたのだと善逸の中で繋がった。
以下の者の婚約状態を破棄することに承諾する、というくだりが書かれており、如月光希と署名がしてある。
男の部分が空欄になっており、光希が指でトントンと叩いた。
「書いてください」
光希が静かに言う。
「ねえ。自分が、どれだけ酷いことしてるかわかってる?」
「はい」
「俺が、書くと思うか?」
「思います」
「……何で書くと思うの?」
光希は鉛筆を持ってメモ用紙に書く。
『あの時の、賭け』
「ん?」
『協同逢瀬作戦』
「あ……」
善逸が間抜けな声を出した。
すっかり忘れていた。なんでも一つ言うことを聞くという約束をしていたことを。
『今、使う』
光希は切り札を隠し持っていた。
「………まじかよ」
「お願いします」
光希は頭を下げる。
善逸は承諾書を手に取り、見つめる。
紙を持つ手が震えた。
俺と光希はもう終わりってこと?
別れるってことだよね?
書面を何度も読み返す。現実味がない。
光希は無表情を貫いているが、悲しみの音を奏でている。
お前も辛いのに、なんで?
回復してきた途端に、これかよ……
こんな紙、破り捨ててやる。
そう思ったが、彼女がどんな気持ちでこれを書いたのかを考えると、そんなことは出来なかった。一文字一文字丁寧にかかれており、それが善逸の心を揺さぶる。
善逸は紙を見たまま、しばし固まっていた。