第7章 冨岡邸
「光希ちゃん、お母さんのこと覚えてないの?」
「はい。俺、六歳より前の記憶が無いんです」
「あらー……そうなの」
「家族が皆が死んで俺一人生き残ったらしいんです。十六って言ってるけど、本当はちゃんとした歳も誕生日もわからない。何も覚えてないんです」
「事故か何かで?」
「いえ、鬼に殺されたそうです。皆信じなかったけど」
「……辛かったね」
「いえ、忘れてるので、特には。ただ、俺の父ちゃんや母ちゃん…どんな人だったのかなぁ…ってのはたまに思います」
少しの沈黙が和がれる。腰をさする、衣擦れの音だけが響く。
そんな中、ゆっくりと千代が口を開いた。
「私もね。鬼に殺されたの。娘を」
「え……」
「ちょうど光希ちゃんくらいの時にね。十六歳くらいって、鬼に狙われやすいんだってね」
「そうでしたか……」
「だから、鬼と戦ってくれる人のお世話がしたくて、ここに来てるのよ」
「辛かったですね……」
「ええ、とても。今でも思い出すわ」
千代の手は一瞬止まり、腰から背中に移動して、また優しく擦り始める。
「俺は忘れちゃったけど、千代さんは今でも覚えてる。何だか俺は薄情者な気がするなぁ……」
「何言ってんの。光希ちゃんはちっちゃかったんだから仕方ないわよ。
親が子どもを想い続けるのは当たり前なの」
「俺の母ちゃん、千代さんみたいな人だったらいいなぁ……」
「思い出したいのなら、きっといつか何かの拍子に思い出すわよ。思い出さないのはまだ、今がその時じゃないのよ」
「そうでしょうか」
「そうよ」
背中に触れる手が温かい。これが母の温もりというやつだろうか。貧血でだんだんと眠くなる。
「眠るまで側にいるから。安心して眠りなさい」
千代は小さな声で子守唄を歌った。
だんだんと目蓋が落ちてくる。やがて光希は眠りに落ちた。
……この子の生理痛が重いのは、きっと強制的に休ませるためね。記憶がないのも、自己防衛ね。
この子の身体は、ちゃんとこの子を守ってる。
きっと光希ちゃんのお母さんがそうしてくれているんだわ……
千代は光希に布団を被せる。
……貴女がお母さんを思い出すまで、貴女を娘と思っていいかしら
すやすやと眠る光希の顔を、千代は暫く見つめていた。