第1章 静寂な沈黙した世界で彼女は音を鳴らす
ヴァイオリンの片付けが終わり、弓のスクリューを回して適度に張っていた毛を休ませケースにしまうと、タイミングを見計らったかのように彼が動く。
彼は、読んでいた本を閉じその本をテーブルの上に置くとこう言う。
「おいで、亜希」
そう言うと両手を大きく広げ彼女に目線を送る。
この一連の行為に彼女は意図を察したのか、素直に彼の元へとやってきて彼の膝の上へと座った。
座った瞬間に彼は彼女を両手で優しく抱きしめ彼女の肩口へ自分の顔を埋めた。彼女は嫌がる気配もなく、ただただ、受け止める。暫くそのままだった。やがて彼は口を開き彼女が正確に聞き取れるかどうかの音量でこう言う。
「——僕は決して忘れないだろう、君のぬくもりだけはね」
———忘れたくはないんだ。
———そうして、はじまりの指揮棒は振り下ろされる。
「朝食にしよう」
「ええ。早く作るからちょっと待ってて」
「あぁ。ゆっくり楽しみながら待ってるとするよ」