第28章 困惑
「カホさんらしいですね…」
そう言った降谷の目は先程とは変わって優しく、柔らかなものだった。
カホの返事が満足か、と言われたらそうではない。
気持ちが同じと分かっているなら付き合いたいと思うのは普通。
けれどお互い素直になるまで長い時間がかかった。
今までの時間に比べれば、その時間を待つのは苦ではない。
やっと…ここまでこれた
降谷零という名前を伝えて、自分の本職を伝えて
自分の、気持ちを知ってもらうまで
どれだけ、遠回りしたか
「カホ」
カホは降谷のその呼び方に心臓が跳ねた。
「これからは、そう呼んでもいいか」
口調の違う降谷に、カホはこっちが素なのだと分かって
それを断る必要性は、どこにもなかった。
「はい、降谷さん」
そう言ってカホは微笑んだ。
その笑顔は安室でいた頃には見れなかった、いつか見たいと思っていた
彼女の、自然な笑顔で
降谷はいつの間にかカホを自分の腕の中に閉じ込めていた。
「いつかこうやって、名前を呼んでもらう日が来たらどれだけ幸せか、と思ってたが
想像以上に嬉しいな。
好きな人に、名前を呼んでもらえるっていうのは」
降谷は自分の腕の中にいるカホが今まで以上に愛おしかった。
一生このまま時が止まればいいと思うほど、この空間が幸せだった。
「たくさん遠回りしたんですね、私達」
「ああ、ほんとにな」
「なんか…まだ慣れないです、降谷さんって言うの」
「今までずっと安室だったからな」
「間違えて呼んじゃいそう」
「…そう言えば、どうしてカホは透って呼ばなかったんだ?」
「あ…、えっと…それは」
カホは少し照れ臭そうに俯くと小さな声で言った。
「透さんって呼んだら…降谷さんへの気持ち、引き返せなくなっちゃうと思ったから…」
そう言ったカホの耳元は真っ赤になっていて、それが降谷は可愛くて仕方なくて
「カホ…」
その声に顔を上げたカホの後頭部を引き寄せて、その唇にキスした。
「んっ…」
次第にそれは深くなって、どちらかともなく舌を絡めた。
水音と吐息が響いて、お互いの羞恥心を煽って
離れた2人の舌先には銀色の糸が引いていた。