第28章 困惑
今日のカホはなんだか様子がおかしい
カホが帰ってきてから安室は彼女に違和感を感じていた。
やけにおいしいと伝えてくるのも、急に好きかと尋ねてくるのも。
まるで自分が部屋から出てくるのを待っていたかのようにソファーに座っていたのも。
カホが好きだと伝えてから彼女が呟く言葉はなんだか弱々しくて、泣きそうな声で。
彼女が何を考えているのか、探ろうにも探れない。
しばらくして今度はお願いがあると言って
自分に何かを頼むなんて普段の彼女なら滅多にしないのに。
彼女の様子がおかしかったのは今から聞く頼みに原因があったのではないかと思った。
その頼みと言うものをちゃんと聞こう、そう思っていた安室の気持ちは全くもって別のものへと変わる。
安室の前に姿を表したカホの首元には普段安室が料理をする時に使っているそれが皮膚に触れそうなほどにまで当てられていたから。
思ってもいなかった光景に安室の表情も崩れる。
なぜカホが包丁を持ち出しているのか、それをなぜ自分に見せているのか
公安でも組織でも人一倍優れた頭脳と判断力を持っている安室。
それがたった1人、一般人である目の前の彼女の行動には何の意味もなさない。
「カホさん、そんなもの早く体から離して…」
安室はそっと彼女に歩み寄る。
「来ないで」
そう言った彼女の声はいつもの柔らかい声ではなく、少し低くて重厚感があって、安室への強い威圧感が隠すことなく現れていた。
グッと力を込めた包丁の先が、カホの皮膚に当たった。
カホは紙で指を切ったときと似たような鈍い痛みを首元に感じた。
それでも表情は崩さなかった。
こんな痛みに弱ってるようじゃ、この後に襲う痛みには到底耐えられないと思ったから。
カホの首元には薄く血の滲んだ1本の赤い線。
安室の位置からはそれがはっきりと見えた。
この異様な光景をカホは前もって分かっていたのだと安室は思った。
そしてそれを全く予測出来なかった自分に嫌気がさした。
仕事ではいくつも先を読めるのに、どうしてカホの事は、1つも…
「分かりました。その代わりカホさんの話をちゃんと聞かせて下さい」
2人は沈黙の部屋の中で視線を交えた。