第45章 夕の夢ー愛し人ー
「阿国、良くなったみたいだね。」
私はそっと振り返った。
庭を歩く私をお館様がにこりと笑っていた。
「…えぇ……五年間にわたり、私なんぞを置いてくださりありがとうございます。」
あの惨劇の夜から丸五年。私はようやく歩けるようになった。食事もできる。
一時期は死まで考えたが、治療がすむまでここに身を置けば良いと私に親切にしてくださったお館様のおかげだ。
「いや、良いんだよ。私はそうして君が笑って歩いているのが嬉しいから。」
お館様が優しく言って下さる。
「私…こんなことを言って良いのかはわかりませぬが、師範のことは今でも忘れられないのです。」
遠い昔のようだ。
師範とともに道を歩いたのも、何もかもが。
「心からお慕いしておりました。本当です。本当に…私は夢を見ていたのです。それはとても…素敵な夢でした。」
互いの年齡がはるかに離れていても、私が師範に抱いていた“恋心”は確かなものだった。
叶わない恋だろうが届かない気持ちだろうが、それで良かったのに。
師範が側にいない。あのお方が、巌勝様が。あの匂いが、たくましい腕が、風に揺れる長髪が、鋭い瞳が、冷ややかな表情が。
あの人の奥底にあった、揺るぎない優しさが。
「………私は…きっと夢から覚めないままなのでしょう…。ありがとうございます。阿国は今宵にここを発ちます。もう死ぬなど言いませぬ。生きようと思います。」
私は笑って言った。
笑えるようになったのも、お館様のおかげ。
「…阿国。」
「はい。」
「どうか、その夢から覚めてはくれないかい?」
お館様が庭に降りてくる。
いつもの優しい微笑みとは異なった。
「………お館様。」
「阿国、あぁ阿国。私もどうやら夢の中のようだよ。目を覚ますことができそうにないんだ。」
目を見張った。
お館様から感情が伝わってきた。