第6章 砥石が切れたみたいだから【エンカク】
珍しく忙しくないドクターと昼食を取った後、自室に帰っている時だった。
「!…サクラ、私の後ろに」
「?」
ドクターが何やらいつにない低い声でそう言う。珍しい、と思いながらも言う通りにするべきだと直感し、ドクターの背中に隠れた。
彼の脇の間から前を見る、と丁度その時、この世の全てを蔑んで笑うような声が聞こえて来た。
「お前か。…今日も生きているんだな、ご苦労な事だ」
見えたのは黒い角を額から生やした長身の男だった。
「エンカク…こんな所にいるとは珍しいこともあるんだな…」
「何となくお前がこの辺にいる気がしてな。…前に見かけた時、やけに大事そうにしているものが気になってな」
「!」
炎の色を持つその瞳と目が合った。
咄嗟に体を隠すものの、もうバレてしまっては意味がない。
「それはお前のとっておきか?」
「お前には関係のないことだ」
「お前の所有物となれば興味が沸く。何故そんなものを大事そうに抱えている?あぁ…安心しろ。弱い奴を嬲る趣味はない」
「ならそれ以上近づいてくれるなッ!!」
「!」
ドクターが一個人…それも仲間に声を荒らげるのは初めて聞いた。
それは相手も同じだったのか、目を丸く開いてドクターを見降ろす。だが、すぐに高笑いを響かせ始めた。
「なるほど…よぉくわかった……なるほどなるほど…つまりは、俺に手を出して欲しいということだな?」
「へ…?」
瞬間、ドクターの体の左から手が伸びてきて、私の左手首をグ、と掴んだ。その圧倒的な力に影から光の中へ引きずり出された。
「サクラ…!!」
素早く私の手を離し、そのまま鳩尾の上に回った腕にヒュ、と息が引っ込んだ。
脇腹を撫でるその指先は、まるで蛇のように這い、腹の肉の感触を堪能する。
「…とても秘密兵器には見えないが、これが守る価値のあるものなのか?」
「黙れエンカク!!サクラを離せ!!」
「クク…いつにない必死な姿を見ると昂ぶる…なあ…?お前もそう思うだろう?」
鋭く黒い爪が生えた長い人差し指と親指が私を顎を掴んで上げた。
オレンジ色の目がすぐそこで笑っている。その目を見つめた私の口から自分の意図せず言葉が漏れた。
「…かっこいい…」
その目は先程驚いた時より見開かれ、酷く動揺したように揺れた。