第29章 もう恋なんて
7階フロアに到着し、
東側に向かって歩き出す。
上からは
直接課長の方に出向けと言われた。
課長の座席はすぐわかった。
デスクに座って書類に目を通しており
穏やかな表情を浮かべているが
くせ者感が漂う。
声をかけるタイミングで
津曲課長が先に顔を上げた。
「ん。見ない顔だね。
もしかして君が…角くん?」
「はい。
本日付けで異動して参りました
角湊です。
どうぞよろしくお願いいたします」
「うん。よろしくね。
前はエリート集団の海外事業部だったよね。
あちらさんで何をやらかしたのか
少々気になるところだけど、
まず牛垣くんのところに行こうか。
僕は彼に全部一任しているんだ。
…知ってる? 彼のこと」
「はあ…。ウワサ程度には」
「あまり芸能界に興味ないくちかな?
そっちの方が案外楽かもしれないしね。
案内するよ」
この課長はのんびり喋る人だ。
よっこいしょと言って立ち上がり、
フロアを簡単に説明されながら
真っ先に
主任が座る椅子の前までやって来た。
遠めでもひと際目立つ。
グレー系のスーツを着て
高潔さを感じる佇まい。
輪郭にあったオールバック。
ひとつの動作でも洗練された動き。
なんというか…
周りが光っているというか
オーラがあるというか、
同じ人間とは思えない
特別な雰囲気を漂わせている。
(この人が……)
芸能界の一線で一世を風靡した俳優。
テレビで見ない日はないほど
超売れっ子俳優でありながら
みずから脚光を浴びる舞台から降り、
一般企業へ転職したという変わり者。
「牛垣くん」と課長の呼ぶ声で
デスクに向かっていた視線が持ちあがると、
ひどく整った容姿に
息をするのも忘れてしまった。