第1章 必然
「ねぇ、おにいさま」
「なんだ、葵」
泥だけになって戻ってきた吉法師に ある日葵が尋ねた。
「あおいは、おひめさま なの?みんなね、あおいひめさま、とか ひめさまってよぶの。でもね、おひめさまはいないよ? おひめさまは、てれび や えほんのなかだけだって まいちゃんいってたもん」
「てれび?まいちゃん?なんだ、それは。
居ないわけがないだろう、お前は 俺の妹で織田家の姫なんだから。」
「まいちゃんは、おともだちだよ。
じゃあ、あおいはおひめさまなの!?すごーい」
そうやって無邪気に笑う妹に そうだな、と微笑むと、急に真剣な顔をして言った。
「姫は上に立つ人間だ。国を良くしていかなくちゃいけない。姫だからって何でもしていいわけではない。葵は、これから姫として大切なことを沢山学ぶ必要がある、よいな」
「はい!」
元気な返事にまたしても笑う。
葵がきてから、館に笑顔が増えた。笑うことが増えた。 この妹を何があっても守ろうと心に誓った。
信秀は吉法師に任せた、とは言ったものの一つだけ 葵の為に用意してくれたことがあった。
それは 養母である。 幼子、しかも 女子となれば女親は必要だろう、と。
葵の養母となった 藤の方様は東の館を与えられた女人である。彼女は ある国の名のある名家の娘であったが、彼女が嫁いできて間もなく 一族は戦にて滅んでしまった。 彼女は唯一の生き残りである。彼女は体が弱く、子が無い。そんな彼女に 信秀は、
「葵をそなたの娘として育ててほしい」
と頭を下げたのだ。 今はなき一族の出とはいえ、名家の娘として育った彼女は 気品があり
その所作も美しく、とても聡明な美姫であった。そんな彼女を手本に育てれば、いずれ 吉法師の妹として隣に立てる素晴らしい姫に育つであろう。
彼女もまた、娘が出来ることを喜び 慈しんだ。土田御前に疎まれていることもあり、織田家中でなかなか肩身の狭い思いをしていた彼女だったが、義理とはいえ娘ができるということは 彼女に力を与えた。葵は、母にも直ぐに懐いた。自分の部屋のある吉法師の館から 日々通っては沢山のことを学び、愛されて育った。彼女は、娘の兄である吉法師もとても可愛がった。彼女、藤の方が 病にて亡くなるまで 二人にとって何よりの理解者であった。