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《イケメン戦国》時を越えて

第19章 時を越えて〜分岐〜信長ver.後編 ※R18あり


ーーー数年後。
「さんたろ!」
三太郎を見付けて嬉しそうに駆けて行くのは、信長夫妻の次男の彦太郎。光秀の幼名が名付けられた彦太郎は、信長の意向でいずれは光秀の後を継ぐことに決まっている。光秀が家庭を設けることはないだろうと理解している信長の心遣いだった。
彦太郎の後ろからは、よちよちと歩く三男の三吉。『三吉』は三太郎が信長と出会う前の名を拝借した。三吉が産まれた時に
「『三吉』がいい!」
と吉法師が言い出し、信長も了承したためだ。三太郎は猛反対したが
「俺が良いと言っている」
信長のその一言で片付けられてしまった。

毛利討伐後、九州と四国を平定し、東北地方を政宗が制覇したことで信長の『天下布武』は成し遂げられた。大望が叶った信長が
「今日まで大儀であった。貴様はもう自由だ。」
と三太郎に暇を言い渡したが
「某は死ぬまで信長様にお仕えすると心に決めております。」
と宣言し、織田軍を離れることはなかった。
その後は、信長の側で己が信長から教わった全てのことを吉法師へ伝える役目を担っている。吉法師は三太郎を師と仰ぎ、尊敬しているため、弟に『三吉』と名付けたがったのも当然だった。

天下布武が成し遂げられた後、織田軍の武将たちはそれぞれの領地へと戻った。光秀と秀吉だけは頻繁に安土に顔を出すが、他の武将たちは己の領地での政に力を注いでいる。

家康は拠点を置いていた駿府城から新たに築城した江戸城へと居を移した。場所の良い江戸を栄えさせ、自分の領地の核としたいと考えたためだった。その家康の思惑通り江戸は栄えて行き、後世でも日ノ本の中心となる巨大都市となった。

政宗は最上家と手を組み、東北一体に巨大な米田を作った。それは自然災害等による不作があっても、豊作の地からの援助で賄うという『食』に拘る政宗ならではの策だった。これにより、米の安定供給が実現し政宗の領地で民が飢餓に苦しむことは一切なくなった。どの土地も豊作な年には他の領地へ流通させたり、南蛮と取引きしたりでお金に替え、伊達家の財を膨大に膨らませて行った。

三成は旧毛利領地の長門へと移った。旧毛利領は毛利討伐後、安芸から長門は三成、それ以外を光秀と秀吉に分け与えられた。三成はその長門に萩城を建設して拠点とし、本州の端に鎮座して九州勢の動きに目を光らせた。三成はそこで、織田軍の躍進の伝文を後世へ残すために書を綴っていた。
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