第32章 暗雲
京での滞在日数が延びるにつれ、信長様の機嫌も悪くなっていった。
私の前ではいつもの信長様の様に見えてはいたけど、広間からは怒りに満ちた声が漏れ聞こえ、謁見に来た使者達が恐れをなして逃げ帰る姿がよく見られる様になった。
原因は多分、天下統一に向けての話し合いが上手くいっていないから.....
そしてその原因はきっと私にある.....
「はぁ、信長殿にも困ったものだ。大人しく三姫の内一人を娶りさえすれば全ての事が丸く収まり上手く行くのに」
「たかが女一人の為に天下統一を棒に振るとは勿体ない話ですな」
お寺の掃除をしていると、良く聞こえて来る様になったこの様な会話.......
「ですが、それ程までに信長殿が夢中になる女子(おなご)に興味がありますな」
「かなり床上手な女子なんでしょうな、はっはっはっ」
信長様の相手である私が、お寺の掃除をしているとは露ほども思っていないのだろう。
偶然耳にする事が多くなったこんな会話を、私は息を潜めて聞きながら、彼らが去って行くのを待つ。
「もう、大丈夫かな?」
襖を少しだけ開けて、静かになった廊下に人がいない事を確認していると、会いたくない御三方に出くわした。
「あら、あなたここで何をしているの?」
「まさか男を連れ込んで、たらし込んでいるのかしら?」
「穢らわしい!」
機嫌が悪くなっているのは信長様だけではない。
信長様との間に何の進展もない三姫達もまた、日に日に苛立ちを募らせており、言葉や当たりが強くなってきていた。
「失礼します」
話し合いができる余地などは勿論なく、私はその場から逃げる事しかできない。
彼女達が正室候補である限り、私は受け入れる事はできないのだから。
「せいぜい今のうちに、淫らな声をあげておくことね」
「っ.....」
辛辣な言葉が私の歩みを止める。
「何事もなく帰れると思わない方が良いわよ、身辺気をつける事ね!」
今のは毛利から来ている姫だ.........
身辺に気をつけろとは、何かをして来るって事?
今までとは違う、明らかに殺気立った声にぞくっと、肌が粟立った。