第10章 月の姫
光秀が部屋から去った後、身支度を整えながら、俺は漸く頭痛の去った落ち着いた頭で部屋中を見渡した。
部屋の隅には、奴に贈った装飾品や着物が綺麗に畳んで重ねて置いてある。
豪華な物は要らないと言って、この内のほとんどの物に奴は袖を通すことも身に付けることもしなかったが、その中で、祭りに行くために贈った小袖を手に取り抱きしめた。
「阿呆が...........誰が本当に月の姫になれと言った」
祭りの日、初めて俺の前で紅をさした空良に見惚れて、誰にも見せまいと口づけで奴の唇の紅を拭ったのはまだ記憶に新しい。
奴が本気で俺から逃げようとしたのは二回だけ。
奴を本能寺から連れ帰り、初めて抱いたその翌日と、その夜。
それ以降は、死こそ望めども、逃げようとする事はなかった。
「薬も全て蘭丸の手引きか.....くくっ、奴は優秀な小姓だからな」
あの焼き芋の時、既に空良がおかしかった事に気付くべきだったのに、思いがけず奴から一緒に焼き芋を食べようと言われ、舞い上がった自分がいた。
それは、奴が作ったと言う月見団子も同じで、奴の心が俺に向いている様で、らしくもなく心が躍った。
薄れ行く意識の中で最後に聞いた奴の言葉。
『愛してます』
奴の優しい声と唇の感触がまだ残っている。
俺は、貴様の両親を殺してはいないと伝えてやっていれば、貴様は思いとどまったのだろうか?
だが、刺客として現れた貴様に俺が一瞬で心を奪われた様に、例え、奴の親を殺した憎い相手だと思っていても、それを超えて俺を愛していると言わせたかった。
欲しかった奴の心.........
だがそれは、奴が側にいなければ何の意味もなさない。
「俺を愛しているなら、なぜ離れた?」
それ程に、顕如が貴様にかけた洗脳は強力だと言うことか.......?
「逃さんと言ったはずだ」
貴様がどこに行こうと俺は必ず見つけ出す。
捕まえたら二度と離さん。
天主に、いや、奥の部屋へと閉じ込めて俺の腕の中から二度と出さん!
「覚悟して待っておけ空良」
支度を済ませ、軍議に向かうため部屋を出るが落ち着かない。
空良、貴様のいない朝はこんなにも静かで、俺にはもう、こんな静かな朝は耐えられそうにない.........