第8章 月の裏側(高杉夢)
幼い頃、晋助さんに連れられて何度か松下村塾を訪れた事があった。
けれど、両親に反対されて足が遠のき、気付いた時には松陽先生が攫われてしまい、晋助さんたちの運命が大きく動き始めていた。
眩しい程の月明かりに照らされる晋助さんの顔を見つめていると、様々な想いが蘇る。
「晋助さん。子どもの頃、私がわがままを言って困らせた事、覚えていますか?」
「何の話だ?」
「一度だけ、松下村塾に行く晋助さんを追い掛けて、「行かないで」ってわがままを言った事があったんです。でも、晋助さんは私を置いて行ってしまって……家人が探しに来るまでそこで泣いていたんですよ。もう会えないって」
あの時以来、私は晋助さんにわがままを言ったり、追い掛けるのをやめた。
きっと彼は気付いていなかっただろうけど、あの時のわがままが叶わなかったのは、私にとってひどく悲しい出来事だったのだ。
あの頃から、私は晋助さんに本音を隠して生きている。
「あの言葉が、現実になっちゃいますね」
「……悪ぃな、もう立ち止まれねぇんだ」
「その言葉だけで、十分です」
私が欲しい言葉が紡がれる事はきっと無い。
せめて最後のこの時を、晋助さんの隣で穏やかに過ごせたらと願う。
「遼、こっちに来い」
手招きされてすぐ横に座ると、そのまま抱きしめられた。
「晋助さん……?」
「月が隠れるまで、こうしていてくれ」
回された腕の逞しさや、骨張った筋肉質の体つきに、ふれ合わなかった年月の長さと、彼が自分とは違う生き物であるという事を思い起こさせる。
だからきっと、理解し合えないのだ。
風が吹いて、月明かりが雲で隠される。
それでも抱きしめられる腕が緩まない事を不思議に思って顔を上げると、晋助さんと目が合った。
「あの……」
「こいつは俺の、わがままだ」
「え?」
ほんの一瞬、唇が掠める。
驚いていると、今度はしっかりと唇が重ねられた。
「んっ」
息が出来ずに身じろぐと、唇が離れる。
「少しだけ、口を開いてみろ」
指示に従い口を開けると、もう一度唇が重なり、今度は舌が侵入してきた。
逃げようとするが、いつの間にか後頭部を支えられていて頭が動かない。
「んっ、ふっ」
逃げる舌を追い掛けるように絡みついてくるそれに、体の奥が痺れるような感覚に陥った。
息が苦しい。
体が熱い。
誰か、助けて欲しい。