第8章 月の裏側(高杉夢)
涙が溢れて、頬が濡れる。
「っ、は」
漸く唇が離れて、私は荒い呼吸を繰り返して息を整えた。
内心、晋助さんが余裕なのが腹立たしい。
二つしか変わらないのに。
そもそも、どこかで覚えてきた手管を披露された事が侮辱のような気がする。
悶々としていると、頭を撫でられた。
「子ども扱いしないで下さい」
「子どもには、口吻したりしねぇよ」
揶揄い混じりな口調に、切ないような虚しいような気分になる。
この思いを表現するのに相応しい言葉が思いつかず、覚えていた和歌を詠んだ。
「さかさまに 年もゆかなむ とりもあへず 過ぐるよはひや ともにかへると(逆さまの方向に年月が流れていってほしいよ。そうすれば、つかまえることが出来ずにどんどんと過ぎ去っていった私の年齢が、年月といっしょに帰ってくるかと思うので)」
「何の歌だ」
「古今和歌集ですよ。好きなんです、ままならない感じが」
「若返るには、まだ早ぇだろ」
別に、若返りたいわけではない。
どちらかと言えば、やり直したいのだ。
「子どもの頃に戻れたら、もう一度晋助さんと月夜を眺めたいです」
「そんな事も有ったな」
「こっそり抜け出して、満月の夜に二人で神社に行って……晋助さんに、お月様には兎が居るって話をしてもらったんです。でも、あの時の私は見つけられなくて」
「きっと、星を探して出掛けてるんだ」
紡がれた言葉に驚いて瞬きをする。
「覚えていたんですね」
「まあな。で、兎は見つかったか?」
尋ねられ、空に浮かぶ満月を見た。
青白く光る月は、綺麗だけれど少し怖い。
「私には、見つけられないみたいです」
嘘つきで、本当の気持ちを隠している私には。
あの月のように、決して裏側を見せないと決めたあの日から、私は晋助さんと同じ物が見られなくなった。
「なら代わりに、俺が見つけてやる」
そう言って晋助さんが袂から取り出したのは、小さな香袋。
それを掌に載せられて、私は訝しがりながらも手に取り眺める。
「あ……」
袋には、二羽の兔。
「見つかったか?」
優しく響く声に、ポロリと涙が零れる。
漸くわかった。
兔は、月の裏側にいたのだ。
だから私には見つけられなかった。
「晋助さん……っ」
「必ず先生を助けて帰ってくる。待っててくれとは言わない。ただ、幸せで居てくれ」
──おわり──