第3章 ー天使は才を慈しむー
了承する前にボールをポンと渡された。
多少爪を削ったくらいで何が変わるというのか。
シュートフォームに入ろうとするオレに向かって、「さっきと同じように打ってねー」と橘が口を挟む。
勿論、言われなくてもそうする。
いつでも完璧なシュートを放ってみせる。
しかし…
「な…!?」
ボールが手を離れた瞬間にわかった。
このシュートは入らない。
予想通り、シュートは壮大な音を立ててリングから跳ね返っていた。
いつものシュートタッチとは明らかに違う。
それは悪い意味ではなく、その逆でいつもよりボールを押し出しやすくなった。
要するにボールが飛びすぎたのだ。
思わず自分の左手の指先を見つめる。
パッと見た感じでは1本前のシュートの時とは何ら変わったようには見えない。
ボールケースから1つボールを取り出し、指先に力を込めて感覚を確かめる。
やはり、力の伝わり方が段違いに良い。
指先の細やかなコントロールでさえ思い通りになりそうな感覚すらある。
それを踏まえて、もう一度シュートを打ってみる。
いつもより軽い力のはずなのに、軌道は高く、軽々とリングを潜っていった。
「緑ちゃん、すごーい!」
横で橘が飛び跳ねている。
「…いったい何をしたのだよ?」
オレは今まであらゆる人事を尽くしてきた。
そうして手に入れたものを、橘は一度の練習を見ただけで易々と超えてきた。
それは何とも面白くない。
「んーとね、爪って指先に力をこめるためにあるんだー」
「そんなことは知っている」
「だから、ちゃんと整えてあげると力が均等に乗っていいと思ったのー」
ニコニコと無邪気に笑う橘に何故だが無性に腹の奥がムカムカとしている自分がいる。
きっとこれは一種の敗北感なのかもしれない。
「ちゃんと力が伝われば、シュートの時に腕とか足にかかる負担は減るし、ボールも、もっと跳びやすくなるよー。だから…」
と言葉を続けながら橘は再びオレの手をとる。
そこで初めて橘の手の優しい温かさに気付いた。
「だから、大事にしてあげてね」
橘がオレの指を慈しむように包み込む。
そうされれば、先程まで自分の中にあった腹立たしい不快感はスッと引いていった。
それはどこか、赤司に将棋で負けたときの感情に似ているようにも感じた。