第19章 その後のはなし
「ふう」
と、咲が足を止めて、あごに垂れてきた汗を拭う。
頬を撫でる清々しい山の風が心地よかった。
「咲、大丈夫か?少し休憩するか?」
「いいえ、大丈夫ですよ杏寿郎さん。さっきも休憩したばかりですし」
「うむ。だが、急ぐ必要はないのだぞ。共に過ごす時間はたっぷりとあるのだから」
「はい。……とても嬉しいです」
ふふっ、と照れたように笑う咲に、杏寿郎も目尻を下げて笑った。
「む!そうだ、良いことを思いついたぞ!」
そう言って杏寿郎が、スタスタと咲より数歩前に出て行ったかと思うと、片膝をついてしゃがみ込んだ。
その広い背中を見た瞬間、咲の脳裏にある光景が蘇る。
あれは昔、煉獄家に引き取られていく道中のことだ。
まだまだ義足の扱いに慣れておらず、ただ道を歩くだけのことにも難儀していた自分のことを、杏寿郎はこうしておぶってくれた。
「さぁ、乗るといい」
ホラ、と杏寿郎が自身の大きな背中を顎で指す。
「…お願いします!」
咲は飛びつくようにしてその背に覆いかぶさると、杏寿郎の首に腕を回した。
「なんだか懐かしいな、これは」
「はい」
もう何年も前のことになるというのに、いまだにその思い出は鮮やかなまま二人の心の中に残っていて、何だか久しぶりに開けた小箱から思いがけず綺麗な石が転がり出てきたような気持ちになるのだった。
右腕しかない咲が滑り落ちないよう、杏寿郎はしっかりと咲の体を後ろ手で支える。
「走るか!」
「はい!」
いたずらっぽく笑って、ダッと走り出した杏寿郎の黄金色に輝く髪が、風になびいて咲の頬に触れる。
景色がすごい勢いで通り過ぎていくのを見て、咲は子どものような無邪気な笑い声を上げたのだった。