第8章 あなたの笑顔が見たいから
(それほど大きな森ではないから、さっさと抜けて、早く蜜璃さんからのお手紙とお菓子を伊黒さんにお届けしよう)
そう思いながら、咲は森の中へと入っていったのだった。
だが、森の中を歩いてしばらくすると、状況は一変してしまった。
先ほどまで非常に穏やかな晴天だったのに、急に風が強く吹き始め、流れてきた雲のせいで日の光が陰り始めてしまったのだ。
「まずいなぁ……」
いくら山の天気が変わりやすいとは言え、あまりにも急激だ。
木漏れ日が差していたものがいつの間にか無くなり、森の中が薄暗くなってくる。
時刻はまだ昼頃のはずなのに、まるで夕暮れどきのようだ。
咲はもう一度藤の花の香水をつけ直して、木の根につまずかないように気をつけながら走り始めた。
こうなったら少しでも早く森を抜けてしまうのが一番だ。
ザザザザッと森の中を駆け抜けていく。
鬼は基本的には昼間は活動しない。
だが、眠っている訳ではないので、こんな風に日が陰っている時や、雨の日なんかは日中でも出てくる場合があるのだ。
(どうか鉢合わせませんように……)
そんな風に願いながら咲は走ったが、その思いも虚しく、あるところで木の上から何者かに声をかけられてしまった。
「こんなところに人間がいる。しかもお前、すごくいい匂いがするな」
「……ッ」
鬼だ。
見上げなくたってその気配で分かる。
咲は当然の事ながら返事をすることもなく、走る速度をさらに上げた。