第9章 天女の歌声 前編
『思い切りあの時代の歌を、外で歌いたい?
…いいけど、あさひさんは信長公の奥方なんだから簡単に出歩けないでしょ。』
「うん。咲と弥七さん、吉之助さんが必ずつくよ。」
『ほら。』
「途中までは着いてきてもらって、帰りの時間になったら迎えに来てもらう。」
『…バレない?』
「バレたら…、仕方ない。謝る。」
『いや、じゃあ、話しちゃえばいいのに。』
「だって、話したら一緒に行くとか城でやれとかになって、楽しめないもん。思いっきり歌いたいの。」
『まぁ、あれは俺も楽しかったからなぁ。』
「でしょ? じゃあ、決まりね。いつなら大丈夫?」
『…三日後かな。』
「待ち合わせは、城下の外れの茶屋でいい?」
『あぁ。そこから一緒にあの丘に行く感じでいい?』
「うん! 何にしよっかなぁ。」
『ふふっ、まさか一緒にこの時代でアカペラでカラオケとはなぁ。』
「楽しみだよね。」
佐助は、眼鏡をあげにやりと笑った。
『じゃあ、今日はここまで。』
「え?もう?」
『あぁ、そろそろ次のお客様が来るみたい。』
「誰だろ?…ってか天井裏から帰るの?」
『腕試し、だからね。じゃ!』
佐助は、音もなくて天井裏へ消えていった。
あさひは二つの湯飲みを片付けると、ふふっと笑う。半分開いた自室の襖からは秋風がひんやりと入っていた。
事の発端は、あさひが信長を庇い傷を負って療養していた時に、佐助と過ごした一時の思い出から始まった。故郷の時代の国民的ロックユニットの歌を、佐助と歌った事がきっかけに、あれやこれやと好きだった歌を思い出していた。
携帯にダウンロードしたお気に入りの歌。
落ち込んだときに必ず聞いて泣いた歌。
カラオケの十八番。
それを、療養の合間に許された針仕事や、手持ち無沙汰に縁側に腰かける時に口ずさんでいた。
しかし、段々とそれだけでは物足りなくなってきたのである。
そして、考えたあさひは、自分の知っている歌の唯一の理解者である佐助に、外で歌うことを誘ったのであった。
『あさひ、入るよ。』
襖を開けたのは、風呂敷を持つ家康だった。
「はい、どうぞ。」
『だれか来てた?』
「え?」
『まきびしの匂いがする。』
「う、うそ!」
『…嘘。またあいつ来てたの?暇すぎない?』